【明日の山に向かって~「病棟薬剤師」その先へ~】第5回 緩和医療における薬剤師の参画意義

2016年5月1日 (日)

薬学生新聞

明治薬科大学臨床薬剤学教授
加賀谷 肇

緩和医療へのラブコール

 私は1989年に米国の大学病院でクリニカルファーマシー業務の一環として栄養サポートチームの研修を終え、帰国しました。北里大学病院薬剤部で臨床薬剤業務の責任者として病棟業務に邁進していた時、91年頃に突然アメリカから国際電話がありました。

 「私は北里大学病院麻酔科の的場といいます。今オハイオ大学で研修留学中です。1年後に帰国したら、一緒に緩和医療の仕事をしましょう。チーム医療をやりましょう」。いったいこの人物は何者なのか、不思議な電話だなとその時は思いました。

 92年、帰国した麻酔科医の的場元弘先生(現日赤医療センター緩和ケア科部長)から「一緒に緩和ケアをやりませんか」と切り出されました。

 私は、「なぜ私ですか」「なぜ薬剤師ですか」といぶかしげに的場医師に尋ねました。彼の答えは次のようなものでした。「アメリカで私を助けてくれたのは、クリニカルファーマシストでした。薬物療法にいろいろな考え方や知識を教えてくれたのは彼らです。私はチーム医療を行う上で、薬剤師は絶対外せないことを身を持って体験しました。あなたが本場で学んだことを私と一緒に実践してください」

済生会横浜市南部病院の緩和ケアチーム回診(左から筆者、薬剤師、ソーシャルワーカー、看護師、医師)=写真1

済生会横浜市南部病院の緩和ケアチーム回診(左から筆者、薬剤師、ソーシャルワーカー、看護師、医師)=写真1

 ここまでラブコールをされて応えないわけにはいかないと思い、緩和医療の領域に足を踏み入れました。がん患者の中には栄養状態が悪い患者も多く、最初は栄養サポート的なスタンスでチーム医療に取り組み、的場医師から緩和ケアを教えてもらいながらチーム医療を実践しました。

 その後99年に北里大学病院を退職し、済生会横浜市南部病院の薬剤部長に就任しました。ここでも優秀なスタッフや理解ある医師にめぐり会い、大学病院のような大所帯ではでき難いことを実現でき、緩和ケアチームを立ち上げることもできました(写真1

薬剤師の専門性を深めた学会の創設

 このように緩和ケアに関わった経験から、オピオイドの薬理作用などをきちんと説明できるような知識と技能がないと、医療現場で薬剤師の専門性が通用しないと痛感しました。

 他の医療と違い、90年代初期の緩和医療は臨床が先行することが多かったと思います。臨床での事象を基礎できちんと説明をつけてくれたのが、星薬科大学薬品毒性学教授の鈴木勉先生でした。依存や耐性のメカニズムや副作用発現用量などについての鈴木先生の研究はまさに臨床薬学であり、その成果は臨床現場の薬剤師を勇気づけ、薬学の素晴らしさを教えてくれるものでした。

 90年代以降、緩和医療に関わる薬剤師は次第に増えていきました。06年に金沢市で開催された日本医療薬学会年会において緩和医療に関する薬剤師の活動をブースで展示したところ多数の来場者があり、関心の強さを実感しました。

 こうした背景から07年3月、鈴木勉先生を代表とし、病院薬剤師、薬局薬剤師、薬学研究者の賛同を得て日本緩和医療薬学会を設立することができました。07年10月に第1回年会を開催。08年には第2回年会の会長を拝命し、メインテーマを「緩和医療の知識・技能・態度をみがく」としてパシフィコ横浜で開催しました。

第2回日本緩和医療薬学会年会で撮影(左から成田年先生、薬剤師2人、武田文和先生、筆者、トワイクロス先生、鈴木勉先生、的場元弘先生)=写真2

第2回日本緩和医療薬学会年会で撮影(左から成田年先生、薬剤師2人、武田文和先生、筆者、トワイクロス先生、鈴木勉先生、的場元弘先生)=写真2

 第2回年会では、緩和医療に携わる者にとっては神様のような存在であるオックスフォード大学名誉教授のロバート・トワイクロス先生の特別講演が実現しました。ダメもとで講演を依頼したところ、なんと「OK」の返事が来たのです。日本のWHO方式がん疼痛治療法の第一人者である武田文和先生に座長をお願いしました。会場は通路まで聴衆で埋め尽くされ、トワイクロス先生は講演の冒頭に「薬剤師が緩和医療にかかわり、2000人を超える聴衆が集まることは想像を絶する素晴らしいことだ!」とおっしゃり、「がん患者の症状マネジメント」について感動的な講演をされました。この時、トワイクロス先生と武田先生、鈴木勉先生たちと撮った写真は、生涯の宝物となった1枚です(写真2

ライフワークを見つけること

 緩和医療の普及・啓発は私のライフワークで、薬剤師人生のほとんどと言っていいくらい力を注いだ専門領域です。北里大学病院から済生会横浜市南部病院の薬剤部長として赴任するとき、副院長の酒井糾先生からいただいた言葉は「今日は今日の山を登る、何故ならそこに明日の山が見えるから」でした。この言葉は今でも私の座右の銘です。

 12年からは明治薬科大学の「薬物治療学V」の中で緩和医療薬学を教えています。皆さんもいつか薬剤師として社会に巣立っていき、それぞれの道を進むと思います。多くの山はそれぞれの高さで、それぞれの険しさでそびえ立っています。まず今日は今日の山を1つずつ登ることが大事ではないかと思います。仲間と共に登ることで多くのことを学びます。

 チーム医療も一緒です。1つひとつの積み重ねで患者から信頼されるチームが醸成されます。どんなことでも、続けていることと諦めないことで夢が現実になったりします。皆さんも自分のライフワークとして薬剤師の道を極めていただきたいと思います。

 次回の最終回は「6年制薬学教育を受けている皆さんに託したいこと」について述べる予定です。



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