桜庭!桜庭!の大声援「気持ちよかった」
そして今年1月3日の復路。前の日は20時に就寝し翌日に備えた。家族や友人、チームメイトからは、「楽しんで走れ」「テレビで応援している」などの激励のメールが殺到し、それは桜庭君が全てを見ることができない量だったという。そして当日は朝3時に起床し、夢の舞台となるスタートラインに立った。
関東学連選抜は往路を終え、21チーム中20位。トップからは16分差であり、復路は明治大学、大東文化大学、國學院大學、国士舘大学と5チームが同時に出走する一斉スタートとなった。
「やれることはやった」と目標タイムを59分台に定めていた桜庭君。6区は山下り区間とはいえ、芦ノ湖のスタートから4キロの最高地点までは上るコース。「最初は抑えていくように」という監督の指示を守り、力を入れずにリラックスして走っていたが、得意の上りは桜庭君の真骨頂。一斉スタート5チームの中でトップに立った。「想定通り。自分のリズムで走れていた」と滑り出しは上々だった。
しかし4キロ以降の下りに入ると、レースの流れが一変する。明治、大東文化、國學院のランナーの走りが変わった。自分は苦手、ライバルたちは得意の下り。桜庭君もできるだけ上体を反らさず、足の回転を上げるピッチ走法を意識し、スピードを上げようとするも、他のランナーとは圧倒的に違った。抜き返されてその差はどんどんと広がり、背中が小さくなっていた。
頑張っても差が開く厳しい状況の中で、中間点を過ぎ、11.7キロ地点の宮ノ下。箱根の風物詩とも言われる沿道からの選手名コールを一身に受けた。「桜庭!桜庭!」の大声援を聞いたときに初めて味わう快感。必死に自分を応援している人たちの姿が目に入ってくる。群衆の中で両親を見つけた。そして日本薬科大学の黄色のノボリ。「自分の大学のノボリが箱根に立っているのは新鮮な感覚」と箱根を走ることが特別なんだと気づいた。
13.8キロ地点の大平台のヘアピンカーブを曲がったときには前は見えなくなっていたが、自分の走りを崩さないように努め、下り終わった残り3キロからが勝負だと自分に言い聞かせた。平地が上りに感じると言われる小田原中継所までの残り3キロ。走りを切り替える一方で、「もう終わっちゃうな」という寂しい思いも胸に芽生えていた。そして次走者に襷を渡す。
「自分は走り終わってから倒れるような経験はあまりありませんが、初めて走り終わって倒れそうになりました」。想定タイムよりも約3分近く遅れてのゴール。大声援の中で箱根路を下り終わった後には、足の裏の皮が剥ける寸前、クールダウンも動くこともできないくらい疲弊していた。
借りは箱根で返す‐次はチームとして出場だ!
「薬大初の箱根ランナーとして歴史の最初の1ページに自分の名前が載ったのは素直にうれしい」としつつも、「ただ走っただけ、次はチームとして出場したい」と胸の内を語る。4月には最終学年になり、主将として日本薬科大学を箱根に連れて行くという思いは、入学時よりも一段と強くなった。後輩たちには、「学連選抜として走るだけでもこれだけ注目されるということを伝えたいし、箱根を走ってみないと分からないこともたくさんある」と力を込める。チームの雰囲気も桜庭君が箱根を経験し、夢ではなく実現しなければならない目標へと意識を変えて練習に取り組んでいる。
厳しい予選会だが、日本薬科大学の順位は26位、21位、18位と年々力をつけており、今年は「箱根を狙える位置にいる」という。なんといってもチームメイトには桜庭君が「心強い存在」と一目置く、ケニア人の留学生ランナーで昨年の1万メートル学生最高タイムを持つサイモン・カリウキ君という大砲がいる。
そして桜庭君もトラックレースを控え、「春先の関東インカレで他校のエースとも勝負できるようにしたい」とエースとしての自覚をのぞかせる。個人の目標として5000メートルでは13分台、1万メートルでは28分台、ハーフマラソンでは63分台までレベルアップし、次の箱根駅伝は上り坂に強い自分の特性を生かし、最難所の5区に挑戦したい考えだ。
横峯英実コーチは、「桜庭が主将になって改善点などもチームメイトに伝えてくれている。彼の色が出るチームになってくれたら」と期待する。不完全燃焼で終わった初めての箱根駅伝。でもドラマはまだ続く。母校の襷をチームのみんなとつなぐため、厳しい予選会を突破し、薬科大学初の出場権をつかみ取る。