【ヒト・シゴト・ライフスタイル】世界の人たちと一緒に働きたい!‐国境なき医師団で夢を実現 国立国際医療研究センター病院薬剤部 井上理咲子さん

2017年7月1日 (土)

薬学生新聞

南スーダンで一緒に活動したチームスタッフ。仲が良く抜群のチームワークだった(右から2人目が井上さん)

南スーダンで一緒に活動したチームスタッフ。仲が良く抜群のチームワークだった(右から2人目が井上さん)

 世界中の人たちと一緒に働きたい!――。国立国際医療研究センター病院薬剤部の井上理咲子さんは、非常勤職員として薬剤師の仕事をしながら、国際NPOの国境なき医師団(MSF)の海外派遣スタッフに登録し、アフリカを中心にフィールド活動に参加してきた。14歳までアメリカで過ごし、幼少期から国際機関で働きたいという夢を持っていた井上さん。世界で活躍するためには資格が必要と考え、興味のあった薬学の世界に飛び込んだ。薬剤師免許という武器を身につけ、難関と言われるMSFの試験を受け、見事に合格。薬剤師として途上国の医療活動で活躍してきた。病院薬剤師、MSFスタッフ、そして主婦という三つの顔を持つ井上さん。薬学生には「薬剤師とは免許だと思うので、国家試験をゴールと考えず、免許を使ってどんな仕事ができるのかを常に考えてほしい」と熱いメッセージを送る。

 井上さんは、東京薬科大学薬学部を卒業後、大学院に進学して修士課程を修了。都内の大学病院に就職し、7年間にわたって病院薬剤師として研鑽を積んできた。幼少期からアメリカで過ごし、異文化に触れることで世界中の人たちと一緒に働きたいと夢見ていた井上さんだったが、実際に日本で病院に勤務し始めると狭い世界を実感。「自分の思い描いていた世界と違う」と考え、いまの自分で世界の人たちと一緒に働く仕事がないかと探したところ、MSFに辿り着いた。

 MSFの参加要件は、薬剤師として2年間の実務経験。ただ、海外派遣のミッションに出ると薬剤師は現地で1人体制になる。専門職として1人で判断して行動できる人材が求められていた。そんな中、「全て自分で考え、判断し、医師や看護師を説得するだけの知識、能力、度胸があるのだろうか」と自問し続け、決心したのは病院薬剤師としてのキャリアが中堅になっていた7年目。「職場に迷惑をかけられない」とついに退職を決断し、世界のフィールドに飛び出した。

 井上さんがMSFの試験に合格し、海外派遣スタッフとして登録後5カ月して最初のミッションが決まった。場所はアフリカ大陸南東部のマラウイ共和国という小さな国だ。HIVのプロジェクトで、医師と一緒に診療所を回診して3万5000人の患者に抗レトロウイルス薬(ARV)を提供する仕事だった。

 マラウイは紛争地ではなく、比較的治安が安定している国で、大量のARV薬と医療資材を扱うため薬剤師向けのミッションと言われていた。マラウイの薬局は、ハード面で空調や水回りなどの設備面がしっかり整っており、医薬品の払い出しルールが決まっているなど、システム面でもMSFが目指す完成形とされていた。

 そんな“学ぶための薬局”とされていたマラウイの薬局を管理する「ファーマシーマネジャー」の役割を任せられた井上さん。「誰もがマラウイに派遣されるわけではなく、MSFの目指している薬局の完成形を見ることができて運が良かったと思います。その後のミッションに参加して、こういう薬局を作ればいいんだとビジョンを理解できたことも良い経験になりました」と話している。

病院薬剤師と主婦の三つの顔

普段はナショナルセンターの病院薬剤師として活躍

普段はナショナルセンターの病院薬剤師として活躍

 最初のミッションとなったマラウイへの派遣期間は4カ月。「本当に空回りばかりしているミッションでした」と笑うが、現地の医療スタッフと一緒に働くことに慣れるためには、誰もが通る通過儀礼とも言えた。

 帰国後、現在の職場である国立国際医療研究センターに非常勤職員として就職。病院薬剤師として働きながら、休暇を取ってMSFのミッションに短期間参加する生活がスタートした。

 2014年7月、アフリカ北東部の南スーダンのミッションに派遣された。前年末に軍の一部によるクーデターが発生し、民族間の紛争に発展。内戦が激化して病院も襲撃され、大量の難民が発生するなど混乱を極める南スーダンは過酷な現場だった。首都ジュバを拠点に四つの地方プログラムに参加し、現地の医療を支援する活動を行った。南スーダンの地方は内戦で破壊し尽くされ、食糧も医療も何もない土地。そこに仮設の病院を建て、地域住民に医療を提供していた。

 井上さんの仕事は、主に四つの地方プログラムに医薬品を分配し、正しく使用できているか、過不足がないかを確認すること。外は40度を超える暑さ、土を掘っただけのトイレという過酷な環境の中、外科医、小児科医、麻酔科医、助産師、看護師で構成するチームの薬剤師として奮闘した。「南スーダンは衛生状態が悪い中、ケガから知らない病気まで何でも対応しなければならず、マラリアの発生時には100人以上の患者さんにテントの中や床にも寝てもらいました」と振り返る。それでも、現地の医療スタッフのチームワークは抜群だった。「すごく仲の良いチームで、これは薬剤師の仕事かなと思うようなことも何でも手伝っていましたね」

ナイジェリアでの朝、女子の準備風景。イスラム教徒が多い地域のため、髪を隠している

ナイジェリアでの朝、女子の準備風景。イスラム教徒が多い地域のため、髪を隠している

 その後、16年にはカダフィ政権崩壊後のリビアで医療支援活動に従事したが、治安の悪化によって十分な活動ができなかった。17年にかけてはナイジェリアの栄養失調改善プログラムに参画。武装勢力のボコハラムの支配地域で医療や物流が遮断され、飢餓や栄養失調の問題が深刻化していたことから、緊急プログラムが立ち上げられることになったのだ。日本人の井上さんは、アフリカ系の顔立ちでないため誘拐される危険性があり、プログラムで使う医薬品を輸入して分配する後方支援活動を行った。また、昨年発生した熊本地震の救援活動に参加するなど、国内外で広く活躍してきた。

 MSFの魅力について、井上さんは「本当に様々な人に出会い、多くの職種の人たちと友達になれるので、世界が広がります。私にとって、世界のいろんな人たちと一緒に働くという夢を実現できるMSFの仕事は自分に一番合っていると思います」と語る。

 これまで病院薬剤師とMSFの活動を並行させて歩んできた井上さん。「お互いの仕事がうまく影響していることは感じますが、MSFの活動は最低限の医療を提供するプライマリヘルスなので、日本での病院薬剤師の知識や技術が衰えないよう、どちらの仕事も続けていきたいです」と話している。

 病院薬剤師としては、日本を代表する国際協力機関に勤務しているメリットを活かして、同センターの国際医療協力局が手がけるラオスの保健医療向上に向けた技術協力プロジェクトに、薬剤部からメンバーとして参加することになった。井上さんは、「日本で薬剤師をやっていたら声をかけていただくチャンスはなかったかもしれませんが、MSFの活動経験からメンバーに選んでいただいたので、何とか貢献できればと思っています」と新たなチャレンジに期待を膨らませている。

 そんな井上さんは、まだまだ現状に満足していない。MSFに参加する医療スタッフは、英語、フランス語をはじめ2~3カ国語を話せるのが一般的。それだけに、14歳までアメリカで生活していたことに甘んじず、英会話教室に通ったり、英字新聞を毎日読んだり、英語を話す友人と会話するなど語学の鍛錬は欠かさない。「日本の薬剤師としてもまだ未熟なので、やるべき業務はたくさんありますし、MSFの活動でもっといろんな国にも行きたいです」と夢は広がる。

 もちろん、病院薬剤師とMSFの活動の二足のわらじは、職場や家族の後押しがあってこそ。多忙な中のオフタイムの過ごし方については「もともと人見知りであまり活動的ではないですし、ただの主婦です(笑)」と謙遜するが、英字新聞やニュースで絶えず世界の動きはチェックし、国連や世界保健機関(WHO)などから公表された最新の報告書を読むなど、常に自分のスキルアップに時間を割いている。非常勤職員の薬剤師として働いているのも、勉強する時間を確保するため。「いまは日本の薬剤師、MSFの薬剤師、そして主婦という3つの自分を行き来していると思っていて、のんびりしている時間はありません」

 薬学生に対しては、「薬剤師とは免許だと思っています。国家試験をゴールと考えるのではなく、それを使ってどんな仕事をするのがいいかを常に考え、様々な仕事の選択肢の中で経験を積んでいって下さい」とアドバイス。「学生時代は勉強はもちろんですが、せっかく学生として目標が同じ人たちと一緒に過ごしているので、学園祭でも何でもぜひ一緒に何かを作り上げるというイベントに積極的に参加してほしいですね。それが人間的に成長できる機会になると思います」とメッセージを送る。



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