東京都新宿区歌舞伎町という国内有数の繁華街で深夜24時以降も営業している薬局がある。薬剤師の中沢宏昭さんが2014年に立ち上げたニュクス薬局だ。特殊な業態に注目が集まりがちだが、中沢さんが重視しているのは対話だ。相手の仕草や表情から心境を推測し声をかける薬剤師としての本質的な行為が、来局する客や患者の心をつかんでいる。
患者が話しやすい環境に‐心境を推測し声かけ
ニュクス薬局があるのは歌舞伎町の中心地から少し離れた場所。月曜から金曜、祝日の16時30分から27時30分まで店を開ける。深夜に来局する客や患者に対応するためだ。
院外処方箋の調剤が経営の柱の一つで、1日あたりの応需枚数は30枚強。患者は20~30代が中心で、約8割は女性だ。精神科や婦人科の応需が多く、生活習慣病の処方は少ない。約700品目の医療用医薬品を揃え、薬剤師の中沢さんと調剤事務員1人で処方箋に対応する。
店内には40種ほどのOTC医薬品も置く。繁華街とあって、二日酔いを改善する漢方薬を提供する機会も少なくない。薬局に入ったすぐ脇には約20種の栄養ドリンクが並ぶ冷蔵庫が置かれ、カウンター奥には名前が書かれボトルキープされたキヨーレオピンが並ぶ。薬局に立ち寄って栄養を補充してから仕事に向かう人も多いという。
特殊な薬局のように捉えられがちだが、中沢さんが意識しているのは薬剤師の本質的な業務のあり方だ。その一環として患者一人ひとりに応じた対応をしている。
プライバシーに配慮してパーティションで区切った投薬スペースで椅子にかけてもらい、患者の話を聞き、服薬指導を行う。それほど長い時間を費やしているつもりはないが、ある患者から「こんなに詳しく説明してくれたのは初めて」と言われたことがある。
「それだけ他の薬局では患者が服薬指導に集中できない環境にあるのでは」と中沢さん。「立ったまま話をしたり、待っている患者が見えたりすると患者さんは早く帰らなければならないと感じてしまうのではないか」と語る。そう思われないように、個室環境を摸した投薬スペースを設けた。
患者が話しやすくなる話し方や聞き方も意識している。患者と話す際にはあえて敬語を崩す。オープン直後、若い世代の患者と多く接するうちに距離感があることに気づき、この話し方になった。
患者の生活スタイルを知ることも健康を考えるうえで必要だと考える中沢さんは、会話を通じて職業も探る。
「もちろん直球では聞かないが、保険証の番号や服装などから推測して『酔っ払った人の対応は大変ですよね』などの声をかける。遠くからボールを投げるように間接的な質問をして、その反応からどういう仕事をしているかヒントを得ている」
服薬指導の限られた時間内であっても的を絞った質問で患者の情報を引き出すことで、その人に合わせた声かけや提案を行えるようになる。相手の仕草や表情から心境を推測し、声をかけることを重視している。独立前の薬局薬剤師時代に中沢さんが、認知症患者の処方箋を持参した家族にいたわりの言葉をかけたところ、その人は涙を流したことがあったという。
「薬剤師の任務は薬局に訪れた人に満足してもらうこと。利益がなければ薬局は存続できないが、目指すべきは利益の獲得ではない」と強調する。
夜間人口多い地域にニーズ‐「来局者の満足」が使命
中沢さんが薬学部に進学したのは手に職をつけたかったからだ。コンピュータグラフィックに興味があり、その分野での海外留学も検討していたが、父からの「薬剤師の資格を取ってからでもいいのでは」という提案が後押しになり、新潟薬科大学へ進学した。
薬学部1~2年生の時点で将来の独立を志すようになった。当時は就職氷河期で「倒産する会社をたくさん見た。会社員でも安心できないと思った。どうせ仕事をするなら自分の城を持ちたかった」と振り返る。
1000万円を貯めて35歳までに独立するという目標を掲げて大学を卒業した中沢さん。初任給の高かったドラッグストアへの就職も検討したが、当時は院外処方箋の応需枚数が少なかったことからチェーンの薬局に就職。独立のアイデアを温めた。
そんな時、勤めていた会社で、銀座で深夜に営業する薬局の計画が持ち上がった。開店には至らなかったが、中沢さんは夜間人口の多いエリアで深夜に営業する薬局は必要と思った。他にはない業態で面白そうと考え、将来立ち上げる薬局のイメージを固めていった。
経営のノウハウを学ぶため中沢さんは個人経営の薬局に転職し、歌舞伎町での薬局開業を見据えて新宿に引っ越した。その店では1人で薬局を運営する経験を積んだ。オーナーは、独立を目指す中沢さんのために収入や収支を公開してくれた。「たとえこけてもやり直せる年齢」と考えた35歳までに起業資金を確保し独立するという目標に向けて、週に6日間働いた時期もあった。
独立の資金を貯めて、ニュクス薬局となる建物の賃貸契約を結んだ際は身震いしたという。「人生が大きく動くと実感して本当に震えた。歌舞伎町というエリアに夜だけ開いている薬局なんて普通じゃないから」と中沢さん。
前例のない業態のためか医薬品卸から薬を提供してもらえなかった。前金を支払い、そこから処方に必要な数だけ卸してもらうというデポジット制で仕入れることができたが、開局から10年近く経つ現在もその制度は続いている。
中沢さんにとって独立とは、単に自らの資金で薬局を立ち上げることではない。「独立しても、近くの医療機関から出る処方箋頼みでは敷かれたレールに沿っているだけで、会社勤務とあまり変わらない。誰かにおんぶにだっこではないことが本来の起業だと思う」と話す。
中沢さんは20年に過労で倒れてから営業時間を変更して余暇の時間を増やしたものの、今後もニュクス薬局を継続させるために跡継ぎも検討している。勤務薬剤師としてではなく当初からニュクス薬局のフランチャイズとして独立を志望している人材を募り、その中で任せたいと信頼できる人にニュクス薬局を譲渡したい考えだ。
薬学生に対して、中沢さんは患者第一であってほしいと呼びかける。「薬剤師の使命は薬局に来た人に満足してもらうこと。それを意識していれば頼りにしてくれる患者さんが増えて、その結果会社や薬局からも重宝される薬剤師になれる」と中沢さんは語る。