医療法人徳仁会中野病院薬局
青島 周一
人間の意思決定は、常に合理的であるわけではありません。「人間が合理的であろうとしているにも関わらず、その合理性には限界がある」という考え方は限定合理性と呼ばれます。臨床における意思決定においても、少なからず限定合理性を伴うことになります。
例えば、外科手術に関する意思決定において、医療者が患者に「手術が失敗する可能性は10%です」と説明するよりも、「手術が成功する確率は90%です」と説明したほうが、手術に対する同意の確率は高くなるかもしれません。しかし、両者の説明はどちらも同じ確率についての表現であり、手術そのものの成功確率が変化したわけではありません。説明の仕方を変えるだけで、患者の意思決定が変化し得るのです。
人の自由意思に大きな影響を与えることなく、なおかつ合理的な判断へと導くための枠組みは、選択アーキテクチャと呼ばれます(Thaler & Sunstein.2008)。選択を禁じるのではなく、設備構造や情報の見せ方を「設計(アーキテクチャ)」することで、人の自発的な意思決定を促すわけです。選択アーキテクチャを活用することで、人の意思決定に変化を迫る具体的な施策をナッジ(nudge)と呼びます。
例えば、紅茶に砂糖を加える際、小さなスプーンを用意すると、通常のスプーンと比べて、砂糖の消費量が27%減ると報告されています(PMID:32277952)。また、ラーメンを食べる際に、通常のレンゲではなく、(スープがすくえない)穴あきのレンゲを使うと、食後の満腹感を損なうことなく、塩分摂取量の低下が期待できます(PMID:37447190)。一般的に、食品の選択に関わる意思決定は、選択アーキテクチャに対する反応が強く、その効果の大きさは他の行動領域に比べて、最大で2.5倍に達すると言われています(PMID:34983836)
ただし、意思決定に関わるバイアスを利用するナッジ介入は、倫理的な問題を少なからず孕んでいます。医療情報の提供や生活習慣に関わるアドバイスを行う際、医療者が用いる言葉の表現方法や情報の見せ方によって、患者の意思決定を特定の選択肢へ誘導できる可能性に留意しなければなりません。ナッジは、問題解決手法の選択肢の一つであり、得られる利益と想定される害のバランスを踏まえ、多様な観点から介入設計を行う必要があります。