薬剤師の近藤智子さんは鹿児島大学で、アカデミア創薬を支援する研究や業務を手がけている。現在の役職は、鹿児島大学ヒトレトロウイルス学共同研究センタートランスレーショナルメディシン分野特任教授。全国的に、大学病院の薬剤部長を除いて医学部や医系大学院で女性の薬剤師が教授に就く例は少ない。大学の基礎研究で見出したシーズを医薬品として実用化するには、研究の方向性の明確化、特許や研究費取得、製薬企業との連携など様々な支援が欠かせない。研究者に寄り添い、各領域の専門家と連携して個別性の高い支援を行うのが近藤さんの役割だ。「自分が関わった薬が世に出てほしい。それが私の一番の夢」と前を向く。
研究の方向性、明確化が重要‐研究費獲得や特許取得も
近藤さんが支援するのは、同センター内の4分野の基礎研究。成人T細胞白血病・リンパ腫やHTLV-1関連脊髄症、HIVの治療薬開発を目指した研究や、人工ウイルス(レプリコン)技術を応用した新規ウイルス感染症治療薬の開発が進んでいる。
加えて、鹿児島大学南九州・南西諸島域イノベーションセンターのライフサイエンス系研究支援チームのメンバーも兼任し、支援対象の基礎研究は学内全域に及ぶ。
「十分な治療法が存在しない疾患はたくさんある。大学の研究で治療法を見出し、製薬企業など社会につなぐことに意義がある」と近藤さん。
「以前に比べると製薬企業はリスクをとらなくなった。アカデミアのシーズを製薬企業が買い取る割合はごくわずか。大学である程度、シーズの有用性を示すデータを揃えないと製薬企業は買わない。いかにシーズを磨いて渡せるかが重要で、大学側でやるべきことが増えている」と語る。
近藤さんのもとには学内の様々な基礎研究者が訪れる。大学の研究者は当然ながら実用化の方法論を十分に把握しておらず、「この後どうすればいいですか」と問われることが多い。
研究のステージや進捗状況によって対応すべき課題は様々だ。近藤さんは、現在の研究結果のデータを確認しながら、シーズをブラッシュアップするために、この先どのようなスケジュールで何に取り組むべきかを研究者と話し合う。
研究の初期段階で、医薬品候補化合物の構造式の最適化を支援することもある。有機化学の研究者と連携してアドバイスを得たりして、実用化に適した構造式を目指す。
各種データを揃えるには研究費が必要で、その獲得も支援する。場合によっては数十ページに及ぶ研究費申請書の書き方も身に付いたという。
ある程度研究データが揃ってくると特許取得を検討する段階に入る。無事に特許を取得できれば、ようやく製薬企業に研究成果を開示できる。
大学の基礎研究の成果を製薬企業につなぐマッチングイベントに参加し、企業の担当者と面談する機会も少なくない。「製薬企業が直ちに特許の権利を購入することはほぼないが、対話を重ねて、まずは共同研究を実現できれば良い」と近藤さん。
製薬企業からよく聞かれるのが「ヒトで効くのか」。企業の担当者と定期的に意見交換する場を設け、大学の独り善がりにならないように、製薬企業の目線で見て基礎研究段階でどのようなデータがほしいかを聴き取る。
特許の残存期間が短くなるほどその価値は低下し、製薬企業にとっても魅力が薄れてしまう。特許取得後は、なるべく早く必要なデータを揃えることが重要だ。
実用化に向けた道筋は、製薬企業との共同研究実施、医師主導治験実施、企業への特許権売却などのほか、大学発ベンチャー設立という手段もある。
様々な支援は、弁理士ら学内の専門家と連携して行うことが基本だ。「私が分かることや、できることには限界はある」。必要に応じて外部の専門人材とも連携しチームを組んで支援する。「薬学の知識は大前提で、コミュニケーションスキルも求められる」と話す。
同センターに赴任後、支援してきた基礎研究の一つが、PAC1受容体に拮抗し新たなメカニズムで作用する鎮痛薬や鎮痒薬の開発だ。
鎮痒の外用薬を目指した製薬企業との共同研究が進行中。末梢神経障害性疼痛を緩和する注射薬の実現も目指しているが、現在の医薬品候補化合物は水に溶けず、その課題を解決する必要がある。公的な研究費の獲得に成功し、今後溶解性を高める研究を進める計画だ。
この研究で近藤さんは研究費獲得など様々な支援に関わったが、その中でも、「ターゲット・プロダクト・プロファイル(TPP)をしっかり策定しよう」と研究者に呼びかけた。TPPは、実用化を意識して、医薬品候補化合物の対象疾患、剤形、有効性や安全性、既存薬と比較した優位性など、全体の方向性を定めたもので、将来の添付文書の元となる情報だ。TPPを策定することで、研究で何をすべきかも明確になるという。
治験業務がキャリアの出発点‐関わった薬が世に出てほしい
鹿児島で生まれ育った近藤さんは、医学や薬学に興味を持ち、都会志向もあって京都薬科大学に進学。2005年3月に卒業後、臨床分野の学びを深めたいとして熊本大学大学院薬学教育部博士前期課程に進み、修了後は鹿児島大学病院薬剤部に就職した。
病院薬剤師としてひと通りの実務を覚えた1年目の終わり頃、薬剤部長から治験業務に関わるよう命じられた。製薬企業の治験を病院で実施する上で管理業務を手がけたり、臨床研究コーディネーターとして患者に説明したりする仕事だ。当直や病棟薬剤業務など薬剤師の仕事と兼任し、業務時間の約7割は治験の仕事を担当した。
鹿児島大学病院で働きながら、12年に熊本大学大学院薬学教育部に新設された4年間の博士課程に1期生として在籍し博士号を取得。山口大学病院臨床研究センター助教を経て、20年8月には鹿児島大学ヒトレトロウイルス学共同研究センター特任准教授に就き、24年5月には当時43歳の若さで同特任教授に昇格した。男性の教授が多数を占める中、鹿児島大で医歯学系の教授に就いた女性は2人目になるという。
振り返ってみれば鹿児島大学病院で治験業務を命じられたことが現在につながるキャリアの出発点になった。
これまでの歩みに「私の意思はあまり働いていない」と近藤さん。鹿児島大学病院への就職や熊本大学での4年間の博士課程進学、その後のいくつかの転籍も、あまり深く考えずに先方からの誘いに応じる形で決めた。「何も考えなかったのが逆に良かった。結果的にいろんな方の導きを受けた」と振り返る。
今後に向けて近藤さんは「自分が関わった薬が世に出てほしいし、その薬で患者さんが治れば幸せ。それが私の一番の夢でモチベーション。それがあるから頑張れる」と語る。
仕事に取り組む上で分からないことがあれば、製薬企業等で働く大学の同級生や先輩に相談し、助言を得てきた。「大学時代に築いた人とのつながりが自分を救ってくれる。このことを意識して学生時代を過ごしてほしい」と薬学生にメッセージを送る。