【日本薬学生連盟】緩和ケア専門薬剤師の先駆け‐湘南医療大学薬学部 加賀谷肇教授に聞く

2024年1月20日 (土)

薬学生新聞

加賀谷肇氏

 日本薬学生連盟広報部は、緩和ケアを専門とする病院薬剤師として臨床現場で活躍し、現在は湘南医療大学薬学部で教授を務める加賀谷肇先生にお話を伺いました。塚本有咲(大阪医科薬科大学薬学部2年生)と武村綾音(慶應義塾大学薬学部1年生)が聞き手となって薬学教育の歴史や先生のキャリアを伺いました。患者さんに寄り添う薬剤師になるためのヒントになれば幸いです。

患者さんの近くにいたい

 ――加賀谷先生が薬学生だった頃の薬学教育について教えてください。

 私は1975年3月に明治薬科大学を卒業しましたが、当時の薬学教育は、創薬に焦点を置いたカリキュラムが多く、ほとんど臨床の授業はありませんでした。当時の履修簿を見ると、分析化学や生薬学、生化学、微生物学、薬物学などがありました。しかし疾患や患者さんにフォーカスした科目はなく、大学で学ぶ機会はほとんどありませんでした。

 また、卒業後の就職先も、現在は病院や薬局などの臨床現場に進む学生がたくさんいますが、当時は圧倒的に製薬会社に進む人の方が多かったです。そのような中で私は、病院薬剤師の進路を選択しました。

 ――病院薬剤師の進路を選んだきっかけや、実際に働き始めて感じたことを教えてください。

 学生時代から、「患者さんの近くで医療を実践したい」という思いを強く抱いていました。2週間の病院実習に参加した際に現場の薬剤師が医師と相談して製剤設計している姿を目の当たりにし、病院薬剤師になることを決意しました。

 私が卒業後に就職した北里大学病院は戦後初めて新設された医学部で、新しい医療の考え方を取り入れて実践していました。他の大学病院や基幹病院よりもかなり進んだ医療を実践していたような気がします。さらに当時は処方箋の発行やデータ管理は紙ベースで行われることが主流でしたが、そうした作業を日本で初めてコンピュータ化した病院だったと思います。また現在は、多職種間で連携して患者さんの治療にあたるチーム医療が多くのところで行われていますが、当時の日本ではまだ珍しく、この病院のみでしかやっていなかったのではないでしょうか。そのような薬剤師が期待されている環境で働くことができ、とてもやりがいを感じていました。

 ――薬剤師として心がけていたことは何でしょうか。

 臨床現場で薬剤師としての専門性を活かすことを心がけていました。病院薬剤師として仕事を始めた頃、病棟から「点滴をください」などといった薬品請求が毎日ありました。しかしただ要求通りに薬品を渡すだけといった、受け身で仕事をすることに疑問を抱いていました。きちんと注射処方オーダやカルテを見て、次にどのような治療が行われるかを予測しながら薬品等の準備をしたいと新人の頃から考えていました。

 ――現場で働く薬剤師としての臨床に関する知識はどのようにして身につけたのでしょうか。

 主に就職後に、現場での経験を通じて身についたと思います。病棟での回診の際に、医師から病気について教わっていました。薬剤師からは医薬品情報を医師に提供していました。

 医師と薬剤師が対等の関係で働ける環境があったのも新設の大学病院だったからだと思います。医師と薬剤師の間の垣根が低くて新しい医療を創っていくことができる環境で、患者さんのための医療を実践することを心がけていました。

 今振り返ると、学生時代に臨床のことを学ぶ機会はさほど多くありませんでしたが、基礎科目をみっちり学んでいたことがとても役立ったと感じます。当時は高カロリー輸液(IVH)の市販品がなく、自家製剤として薬剤部で調製していました。輸液を調製する際に、ブドウ糖や電解質をどのように混合すれば良いのか、医師はあまり詳しくありません。そのような時、大学で学んだ基礎が薬剤師としての専門性を発揮する上で役立ちました。

留学を機に緩和医療へ

 ――アメリカへ留学したきっかけと、印象に残っていることを教えてください。

 北里大学病院で医師以外の職種で最初の留学の機会を得ました。医師が海外に留学することは珍しくなかったのですが、北里大学病院は新しい取り組みとして、医師以外にも海外留学の機会を与えようとするプロジェクトができました。私自身が病院の英会話クラブの代表をしていたこともあり、応募しました。延べ4か月間、ミシガン大学病院とケンタッキー大学病院の栄養管理チームで学びました。

 現地で栄養療法のみならず、ファーマシー・マネジメントまで学んだことが後の仕事に大変重要でした。日本では薬剤管理指導記録数で病棟担当薬剤師がどれだけ仕事をしたかを評価します。しかしアメリカでは、薬剤師を臨床、教育、研究の三つの視点で評価し、医師から投げかけられた質問が何か、それに答えるのに文献を何ページ、何時間読んだのかまですべて記録します。

 また、アメリカで薬剤師として現場の仕事をするだけでなく、マネジメントの必要性も学びました。向こうでもチーム医療がメインでしたが、薬剤師をどのように教育するか、また医師や看護師などと、どのように協働するかまで学びました。

 ――様々な経験の中から、最終的に緩和ケアを専門にしようと思ったきっかけを教えてください。

 帰国後に北里大学病院の麻酔科医である的場元弘先生から声をかけられたことがきっかけです。まだ留学中だった的場先生から「アメリカ留学中にクリニカルファーマシストが自分を助けてくれた。だから、チーム医療を行う上で薬剤師が必要不可欠だと身をもって体験した。私が帰国したら緩和ケアチームを結成して実践するために力を貸してくれないか」と電話がかかってきました。私が的場先生に栄養療法を教え、的場先生からは緩和医療を教わるという関係で、緩和医療の世界に入ることになりました。

 ――緩和医療を実践する中で印象に残っていることはありますか。

 看護師や臨床心理士など多職種を巻き込んでチームを結成し、それぞれの職種の専門性を生かしながらチームで患者さんを診ていました。例えば毎日嘔吐してしまう患者さんを診る際、まずはなぜ嘔吐しているのかをチームで検討します。そして、嘔吐の原因が薬だと分かったら、次にどのようなメカニズムで嘔吐が起こっているのかを考えます。もしセロトニンの作用で吐いているのなら、抗セロトニン薬を処方します。このようにして患者さんの嘔吐がおさまるという経験をしたことから、これが自分の実践したかった医療だと実感しました。

患者の話を聴くことが重要

 ――薬学教育が6年制となった今、薬学生はどこに重点をおいて学べば良いと考えますか。

 サイエンスとアートのマインドを持つことだと考えています。

 現在は臨床について学ぶ時間がたくさんあります。しかし臨床はあくまでも、様々な分野が融合した応用分野です。その土台となるのは医療知識などのサイエンスですが、それと同時にアートのマインドがなければ患者さんに寄り添うことができません。

 例えば、がんの患者さんを担当し、「このデータを基にするとあなたの余命はあと半年です」といった内容を患者さんに説明したとします。医療者としては患者さんを納得させたと思うかもしれませんが、患者さんは「なぜ自分の余命を他人に決めつけられるのか」と不快な気分になってしまいます。そんなことでは患者さんに寄り添うことはできません。

 しかし、「私たちと一緒に頑張ってみませんか」と声をかけると、患者さんは前向きに治療に取り組むでしょう。そのように思いやるなど、アートのマインドも身につけてほしいです。

 ――これからの薬学生に期待することを教えてください。

 患者さんの話を聴くことを心がけてほしいです。そのためにはサイエンスとアートのマインドを持つことが重要です。また、日頃から聴く力を高めるトレーニングをしてみてください。薬剤師は患者さんの話を聴いてニーズを理解し、それにあった対応をしなければなりません。患者さんは薬を飲むことの意義を知りたいのに、薬剤師が薬の副作用の話ばかりをしていたら意味がないですよね。患者さんのニーズに合った行動をしなければなりません。

 重要なのは“聞く”ことではなく、“聴く”ことです。聞くとは、門の前で腕を組むことから、「私があなたの話を聞いてあげますよ」というような態度を意味します。そうではなく、耳をそばだてて患者さんの要望を聴いてください。人は話を聴く人に心を開くことはあっても、話を聞く人には決して本音をこぼしません。

 患者さんの話をよく聴き、本音を汲み取り、患者さんに安心感を与えられる人になってほしいと思います。



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