かつては第一三共のMR、今や薬局薬剤師であり、薬局経営者であり、子供向けのスポーツ教室も運営し、開局を支援する塾も主宰している――。滋賀県のケイファーマ代表の加納裕介さん(44歳)は、様々な顔を持つ。この複数の顔には一貫したテーマがあるという。「他者貢献」。これからますます地域の再興が迫られる。加納さんは薬学生に、薬学の視座だけでなく、自分が地域にどのような貢献ができるのかを複数の視座から考える意識を学生時代から持ち、社会に挑めとエールを送る。
スポーツ教室や開局塾も運営‐「地域の未来を応援したい」
2002年3月に大阪薬科大学(現大阪医科薬科大学)薬学部を卒業後、当時の三共のMRとして8年勤めたのち、薬局薬剤師になった。10年に滋賀県近江八幡市の「いちえ薬局」の管理薬剤師として勤務し、15年に同薬局を運営するケイファーマ代表取締役に就任。今日まで本店以外に3薬局を立ち上げた。
このうち八日市緑町店(東近江市)と草津店(草津市)は23年に開局した店舗。並行して子供向けのスポーツ教室(JPCスポーツ教室のフランチャイズ)の運営にも携わり、同年の1月に守山市に開設、10月には草津市にもオープン。1年間で薬局とスポーツ教室計4施設を立ち上げるという多忙な日々を送り、今は薬局に立つのは週3回程度という。
さらに、これらの事業と並行して、勤務薬剤師、MRを対象にした「独立開局成功塾」を主宰する。
「経営者あるあるですけど、365日働いている。経営イコール趣味だから、しんどいというのはなくて。そういう価値観だからうまくいくのか、うまくいくからそういう価値観になるのか」。加納さんはゴルフ焼けして浅黒い顔をほころばせる。仕事関係者とのゴルフ、会食にも忙しい。
「経営スタンスはパラレルキャリア。薬局の一本足打法では怖い。そもそも薬局だけをしたいわけではない。薬局経営を真ん中に置きながら、地域の人のための役に立ちたいというのが基本理念。第1段階は家族とか身近な人を、第2段階は従業員を、第3段階は地域住民の方々を豊かにする」
つまり、これが加納さんの言う「他者貢献」。複数の顔は、地域に新たな価値を生み出すために戦略的に行ってきた結果と言える。
そもそも薬局経営と子供向けスポーツ教室運営は、不思議な取り合わせだ。加納さんは「薬局を起点に考えると薬が必要な人は誰かとなる。だいたいは高齢者と考えると思う。では、訪問の服薬指導・介護支援を事業にしようとなるが、そう考える人は多いと思った。ぼくは、地域の未来を応援したいと考えた。未来を担うのは子どもたち。だから子供たちを応援したい。その子供たちはネット世代。薬局サービスはさらにオンライン化が進むだろう。その子と親に、何かあったら『いちえ薬局』を頼ってほしいと思った。地域の未来と薬局の未来、そのトレンドを見据えて攻めた結果だ」と語る。
実は、7月からスポーツ教室会員を対象にプログラミングスクールも始めたという。
パラレルキャリアを持って地域の未来を築く。この経営スタンスが「独立開局成功塾」にも貫かれている。同じような姿勢の経営者を育て、地域を豊かにする種をまく。
「薬局経営は第1歩にすぎない。薬局経営だけで満足するのだったら、独立はやめた方がいいと言っている。薬局は、制度改正に経営が振り回されるリスクがある。経営が悪い方に傾くと、従業員と仲が悪くなり、家族とも仲が悪くなり、地域のためにもならないという負のスパイラルに陥る。だから塾では、『薬局×α事業』の必要性についてマインドセットし、その事業をどう展開し、持続させるのかのノウハウを教える」。すでに84人が塾を巣立ち、第10期を迎える8月で総受講者数は100人を超えた。
尊敬する医師のため転身決意
そんな加納さんだが、学生時代は「フツーの学生だった。大学にもあまり行ってなかった」と振り返る。製薬企業に就職したのも、研究室の先生から「コミュニケーション力がありそうだし、MRに向いているのではないか」と言われたからだという。時は、降圧薬など生活習慣病の治療薬を巡る各社の競争が激しかったころ。当時、新卒採用が積極的に行われ、02年にはMR数は5万人を突破した時期だ。
加納さんは三共(当時)、山之内製薬(同)、藤沢薬品(同)、塩野義製薬から内定を得た上で、「人事がよくしてくれた」三共に02年4月に入社。京都支店滋賀営業所に配属され、今の「いちえ薬局」本店がある近江八幡市を担当した。主力品が高脂血症治療薬「メバロチン」から降圧薬「オルメテック」に切り替わっていく中で活動し、成績は「営業所でも、ある程度上の方だった」という。
やみくもに数字を追いかけていたわけではない。とにかく医師のため、患者さんのためを最優先に取り組んだ結果であり、それは先輩にもそういう人が多かったからだという。「他者貢献」の萌芽が見える。
それゆえ「MRは楽しかった」と述懐するも、三共と第一製薬の合併を機に、三共側か第一側かなど内向きの思考、行動をする人が出てきて、それに付き合わされるようになってくる。「他者貢献」から遠ざかる自身の心にアラートが灯り始めたが、それでも第一三共でやっていくつもりだった。
合併から3年ほどたったころ、知り合いのMS(医薬品卸の営業担当者)から電話がかかってきた。
「瀧川(政邦)さんが話したいと言っている」。瀧川政邦さんは、滋賀県内で複数の薬局を展開する経営者。MRの新人時代から付き合いがあった。
近江八幡市の水原医院の処方箋応需を中心にした地域密着型の薬局をつくりたいとのことだった。その水原医院は加納さんの担当であり、水原寿夫院長とは信頼関係があった。瀧川さんから「5年後の独立を約束するから、薬局をやらないか」と相談された。
あまりに急な話で、当時はまだ第一三共でやっていく考えも強く、一度は断った。しかし、水原院長は新人時代から世話になり最も尊敬できる医師。水原先生のためならと、心が傾いていく。2カ月後、引き受ける旨を瀧川さんに伝えた。
管理薬剤師として薬局に勤めるが、薬局名は加納さんが付けることになった。
「一連の出来事は正に一期一会。だから薬局の名前を『いちえ薬局』にした」。独立に備えフィナンシャルプランナー2級、財務経理を独習した。18年、2施設目の中小森店を開設した。1店舗だけという経営リスクを回避できた。しかし、薬局が忙しくなり、負担がかかりすぎたスタッフが次々辞めていく事態に見舞われる。「これが経営の転機となった。経営者の思いだけで走ってはだめだ。従業員の思いを汲み取りながら組織をつくる必要性を痛感した」。塾ではそんな失敗体験も隠さず伝える。
地域で果たせる役割意識して
これまでの挑戦を振り返って「仮説通り、いやそれ以上だったかもしれない。未知への挑戦を続けてきて、少しは経営者として強くなってきたかな。経営幹部を育てる取り組みも始めている」と加納さん。
「最初は、自分で何でもしなければならないと思い込んでいた。しかし、必要なのは、周りに頼れる仲間をどれくらい作れるかだと思う。そして日々、その信頼できる人とコミュニケーションをとる。話すと、自分だけでは気づけなかったことを指摘してくれる。壁打ち、と言っているけど、信頼できる壁打ち相手はとても大事」と話す。
最後に薬学生へのメッセージをお願いした。
「独立するか否かに関係なく、社会人としてキャリアを考える際『経営を意識』してほしい。もし薬局をやるなら、どういう薬局をやりたいのか。それを考えると患者さんをイメージすることにもつながる。患者さんとこう接していきたいとか、薬剤師としての視座に加えて、もう一つの視座で考えてみる。処方箋1枚からもたらされる利益、それに見合った価値を提供できるのかと自問することに加え、患者さんを通じて地域の住民にどのような価値を提供できるのかも考えてみる。自分が所属する薬局、または自分自身がどのような役割を地域で果たせるのかを意識して考える癖をつけておくと、日々の業務、患者さんへのスタンス、経営者としての提案が変わってくるのではないかと思う。私の場合、それを『他者貢献』の視点から考えた。その結果が今のやり方につながっている」