正確な専門知識を「脳の引き出し」に~薬学生へのメッセージ~

2014年11月1日 (土)

薬学生新聞

富山大学名誉教授
倉石 泰

倉石泰氏

 私は、1992年に京都大学薬学部から富山医科薬科大学(現・富山大学)和漢薬研究所に教授として赴任し、96年に薬学部に異動、2014年に富山大学を定年退職しました。大学院博士課程の後半から定年までの約39年間、「痛み」と鎮痛薬の薬理を研究テーマとしてきましたが、富山大在任中の22年弱の間は「痒み」も研究テーマの一つとしてきました。

「痒み」も研究テーマの柱に

 そう痒性疾患は、H1ヒスタミン受容体遮断薬で抑制される抗ヒスタミン薬感受性そう痒と、抑制されにくい難治性そう痒に分類されますが、難治性そう痒の基礎研究が最近盛んになってきました。しかし、90年代中頃までは痒みの基礎研究はほとんど行われていませんでした。

 私が痒みの研究を始めたきっかけは、ある製薬企業から薬物の鎮痒効果の有無の評価を依頼されたことでした。文献を検索しましたが鎮痒薬の薬効評価に利用できる動物実験の報告は見つかりませんでした。学生時代に薬理学の講義で、痒みにはH1ヒスタミン受容体遮断薬が使用され、morphineやtubocurarineがマスト細胞からヒスタミンを放出させ蕁麻疹の痒みが生じることを教わっていました。ヒトは痒いとき掻きたい衝動に駆られますので、皮膚のマスト細胞を脱顆粒させて動物に掻き動作が誘発できれば、動物の行動実験で鎮痒効果の評価が可能になると考えました。

 そこで、マスト細胞を脱顆粒させるcompound 48/80とsubstance Pをマウスの皮膚に投与すると投与部位を後肢で引っ掻く動作を観察することができました。ところが、意外にもhistamineでは掻き動作が引き起こされませんでした。この結果は、「マスト細胞から放出されるhistamineが痒みの主な原因である」との常識(教科書の内容)とは異なるもので、常識とは異なる反応の観察が痒み研究をスタートさせた動機でした。

 痒み因子として最もよく知られるhistamineが痒み反応を起こさない動物を用いた痒みの実験結果は、ヒトの痒みへの外挿が困難です。そこで、histamineが掻き動作を引き起こすマウスの系統がないか調べ、ICR系マウスがhistamineで再現性良く掻くことを見つけました。そこで、痒みの研究は可能な限りICR系マウスを用いて進めました。一次感覚神経に含まれるsubstance Pは、脊髄後角では痛みの情報伝達に関与するが、ヒトの皮膚に投与すると痛みではなく痒みを生じます。Substance Pによる痒みはhistamineよりも強いのですが、マスト細胞からhistamineを放出させるのが主な機序だと考えられていました。しかし、ICR系マウスを用いた実験から、痒みの原因としてはマスト細胞のhistamineよりも表皮ケラチノサイトから遊離されるleukotriene B4などの因子が重要であることを明らかにしました。

新たな鎮痒薬開発に発展

 強力な鎮痛薬morphineは注射局所に蕁麻疹と痒みを生じますが、この作用にはμ-オピオイド受容体は関与しません。他方、morphineをヒトの髄腔内あるいは硬膜外注射すると高い頻度で痒みが生じ、この痒みはオピオイド拮抗薬で抑制されます。

 私たちは、morphineをマウスの髄腔内あるいは大槽内に注射して掻き動作が誘発されることと、この反応がオピオイド拮抗薬で抑制されることを示しました。μ-オピオイド受容体の刺激による中枢性の痒みもhistamine非依存性の痒みです。

 痒みの評価とhistamine非依存性の痒みに有効な鎮痒薬の薬効評価が動物実験で可能になったことで、製薬企業による難治性そう痒に有効な新たな鎮痒薬の開発が容易になりました。

 例えば、κ-オピオイド受容体作用薬の鎮痛薬としての開発が壁に突き当たっていた東レ株式会社が、私たちの報告をきっかけにκ-オピオイド受容体作用薬が難治性そう痒に有効である可能性を動物実験で確かめて臨床試験を進め、血液透析患者の痒みに有効な初めての鎮痒薬nalfurafine(写真)を09年に世に送り出しました。

日本で開発された難治性そう痒治療薬nalfurafine

日本で開発された難治性そう痒治療薬nalfurafine

 痒みは皮膚の表層に限局して起こる感覚です。表皮内と表皮直下の真皮内に分布する神経が痒み刺激の受容器だと考えられています。したがって、substance Pが表皮ケラチノサイトから痒み因子を放出させて痒みを起こすとの研究結果から、痒みにおける表皮ケラチノサイトの役割に注目して研究を進めました。

 その結果、表皮ケラチノサイトはleukotriene B4に加えthromboxane A2、nociceptin、nitric oxideなど多様な痒み因子を産生・放出することを明らかにし、痒みにおける表皮ケラチノサイトの重要性を示すことができました。主に表皮ケラチノサイトに作用する新たな鎮痒薬が日本の製薬企業から生まれつつあります。

将来のチャンスに備えた学習を

 学生時代は耳と目を通してたくさんの専門知識を学びますが、取り出せる状態で「脳の引き出し」に専門知識を入れることは非常に重要なことです。実験科学である薬理学は、実験結果に基づき薬物の作用を説明しています。したがって、実験結果の誤った解釈による説明や、的確な証明がなされていないために曖昧な説明も多々あります。将来、臨床現場などで学んだ内容とは異なる事例に遭遇した場合、そこには新たな治療薬や治療法のきっかけが隠されているかもしれません。そのような遭遇のチャンスを増やすためにも学生時代は、正確な専門知識を「脳の引き出し」に入れて下さい。



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