30歳でベンチャー企業を立ち上げた薬剤師がいる。服薬治療をインターネットで支援する「ミナカラ」を2013年に創立した代表取締役薬剤師の喜納信也さんだ。薬に関する疑問をインターネット上で薬剤師に相談できる「薬剤師Q&Aサービス」からスタートし、薬に関する有益な情報を発信する「薬局マガジン」や処方箋を患者の自宅に配送する「お薬宅配サービス」など、事業の幅を拡大させており、「ミナカラ薬局」として調剤薬局の店舗も保有する。「患者さんの医療体験を大きく変えることで、社会の変革を起こしたい」と大きな展望を語る喜納さん。「起業したい薬学生がいれば、いつでも相談に乗りますよ」と次世代にもエールを送る。そんな喜納さんの溢れ出るベンチャースピリッツに迫った。
IT企業と薬局勤務経験生かし起業
北里大学薬学部に在学していた喜納さん。ベンチャーへの興味が沸いたのは大学3年の就職活動の時期。先輩に誘われたアルバイト先がきっかけだった。先輩は同じ北里大学理学研究科の大学院生で、喜納さんと同じ時期に就職活動をしていたが、早い段階でデジタルコンテンツ制作を手がけるテクノロジーベンチャー企業の内定を得て、卒業前から働き始めていた。喜納さんも就職活動の傍ら、追いかけるように先輩の働く企業でアルバイトをすることになったが、そのとき斬新な社風に衝撃を受けたという。「社長の考え方や会社全体が面白くて、『ベンチャーで働きたい』と思うようになりました」と当時を振り返る。
就職活動では、もともと医療に関わることを夢見て薬学部に入学したこともあり、一般消費者向けの医療系ベンチャー企業を探していた。その条件は、「自分が成長できそうな、わくわくする会社」。だが、そのような会社はなかなか見つからなかった。調剤薬局や製薬会社のMR職の内定も数社から受けていたが、結局は辞退し、最終的に医薬品とは全く関係のないITベンチャーへの就職を決意した。「医療系ではないですが、一番わくわくした会社を選んだ結果です。その時はベンチャーに入って社会を変えたいという思いが強かったですね」と心境を語る。
ただ、薬学部への入学は、両親や親戚のサポートがあってこそ実現できた。「薬剤師の資格を取らないまま卒業なんて親不孝ですよね。国家試験という目先の成果さえ出せない人が、大きな夢など描けないと思いました。薬剤師免許は、両親にプレゼントするつもりで頑張りました」と国試も無事に突破。喜納さんの激動の社会人生活がスタートした。
就職先は、企業向けに業務の効率化を図るためのシステム導入を提案するITベンチャーだ。面接時に「3年以内で退社して、その後は医療の道に進みたい」と宣言し、会社側も納得した上で喜納さんを受け入れた。少人数制で業績を急成長させていた時期でもあり、激務で仕事の失敗もあったが、それでも充実した社会人生活を楽しんでいた。
入社して約半年後には、「薬剤師としても一流になろう」との思いから、副業として調剤薬局のアルバイトもスタートさせる。本職のITベンチャーが裁量労働制となっていたため、仕事が終わった夕方から薬局で働き、夜にまた会社の仕事をやることもあった。「薬局のせいで本業に支障を来たしてしまったら、何よりも自分自身が嫌になってしまう。副業しているからこそ、両方ともがむしゃらになって成果を出すようにしていました」と語る。
薬局とITベンチャーの仕事は、お互いがシナジー効果を生んでいた。患者とのコミュニケーションは、企業対企業(BtoB)のコミュニケーションと比べてより丁寧な対応が必要と考え、自社のシステムを初めて使う顧客には、薬局で患者と接するように対応した。一方、薬局では、本職で関わっているシステム面で薬局業務の効率化や患者のニーズにもっと応えられないかと思いを巡らす機会が多くあり、ミナカラ創業のヒントにもなった。
ITベンチャーは、当初は3年で辞めると宣言していたものの、仕事が軌道に乗り、4年目以降は200人以上を巻き込んでの新規事業サービスの立ち上げで責任者に抜擢され、7年間勤務した。4年間働いていた薬局は辞めたが、今度は仕事と並行して夜間のビジネススクールに2年間通い、国内でMBAを取得。薬局薬剤師とITベンチャー企業の経験を生かし、ミナカラの起業を決断した。
患者の不便、ネットで解消‐実店舗やOTC薬販売も
ミナカラの理念は、患者の医療体験を変革させることだ。「インターネットに育てられた世代なので、ネットインフラの普及による生活様式の劇的な変化を見てきました。しかし、衣食住に関するネットサービスが続々と登場する中、患者さん向けのサービスは全然出てきていなかったと思います」とミナカラ設立の経緯を語る。これまで喜納さんは、薬局で患者から「体調不良で医療機関にかかったのに、診療後わざわざ門前薬局に行かないといけない」「薬局での待ち時間が長く、特に小児や精神疾患患者にとって苦痛となっている」「帰宅後に服薬で分からないことがあったら、誰に相談すればいいのか」など生の声を聞いてきた。自ら立ち上げたミナカラでは、こうした課題をインターネットやITシステムで解決することを目指している。
そして誕生したサービスが「薬剤師Q&Aサービス」だ。薬剤師による服薬指導は通常、薬局でカウンター越しに行われるが、実際に服薬する日常生活でも、薬剤師にオンライン上でいつでも相談できる。多く集まった相談内容は公開しており、多い時には1日10万人以上が閲覧するコンテンツにまで成長している。情報の流通に加え、薬の物流改善も目指し、薬局に行けない患者向けに薬剤師が自宅に薬を届ける宅配サービスもスタートさせたほか、実際に調剤薬局の店舗も開設し、オンラインサービスと連動した次世代の薬局のあり方を模索している。
創業から5年目。現在も様々な新規事業を検討しているが、最近では自社ブランド「ミナハダ」を立ち上げ、OTC医薬品の販売を開始した。パッケージにはインターネットの特設サイトにつながるQRコードが添付されており、サイト内で「薬剤師Q&Aサービス」も受けられる。薬にインターネット情報の付加価値を加えたセルフメディケーションの新たな形として訴求していきたい考えだ。「日本の高品質な薬剤をリブランドして、海外でも販売できればと思っています」と海外展開も視野に入れている。
BtoCビジネスにこだわり
ミナカラの特徴は、患者にダイレクトにサービスを提供するBtoCビジネスに特化していることだ。国内の医療系ベンチャーは、電子カルテのシステム構築、医薬品の導出、人材紹介など、医療機関や製薬企業向けのBtoBビジネスが基幹となっている企業が大半を占めている中、「われわれがBtoBを主体にすることはありません」と強調する。
例えば、医療従事者に特化した人材紹介サービスを立ち上げ、その事業規模が大きくなった場合、オンライン上で解決でき、医療機関の受診が必ずしも必要ない患者向けのサービスがやりづらくなる。BtoBを手がけることによって、純粋なBtoCビジネスにブレーキがかかる可能性があるのだ。患者のためになり、初めて「薬剤師がいてよかった」と考えることが、ミナカラの基本的なスタンスとなっており、「われわれのサービスによって薬剤師の仕事が減ったとしても、患者さんのためになるならそれでも良いと思っています」と言い切る。
次世代を担う薬学生への期待も大きい。「学生をどんどん起業させているベンチャーキャピタルもありますので、薬学生であればなおさら、興味のある学生はどんどんトライしてほしい。私も学生の時代に戻れたら、学生のうちに起業していたと思います」とベンチャー企業の代表らしいメッセージだ。
喜納さんの学生時代は、学園祭の実行委員としてパンフレットや協賛バナーの作製、薬局等への広告営業に奔走し、近隣の大学と連携して学園祭のスタンプラリーを作るなど新たなことにも挑戦していた。「ベンチャーの起業も学園祭と同じくらい楽しい。学生生活は周りに友達がいて、両親から生活費を援助してもらえる場合もある。起業に最高の環境ですよね」
薬学部を卒業した若き“開拓者”は、人生の様々なステージで思い切った決断を経験し、それらを全力で楽しんでいる。