化学の楽しさ、小説で伝える‐薬にちなんだ謎解きが人気 薬学出身の小説家 喜多喜久さん

2018年11月1日 (木)

薬学生新聞


喜多喜久さん

 化学を題材に扱った斬新なストーリーで活躍する薬学出身の小説家がいる。製薬企業の研究者を経て、昨年から専業作家に転身した喜多喜久(きた・よしひさ)さん。30歳を前に趣味で小説の執筆を始め、「5年で応募作が受賞しなかったら小説を書くのを辞める」と心に誓い、2作目の『ラブ・ケミストリー』で宝島社から『このミステリーがすごい!』大賞・優秀賞を受賞する栄誉を授かった。「化学にもっと親しみを」という思いで生み出した作品群は、大学の研究室を舞台に有機合成といった化学、薬にちなんだ謎解きが作中に登場するなど、エンターテイメント小説として面白くて分かりやすいと評判だ。化学との出会いから製薬企業の研究者になった喜多さんだが、いつしか薬を創るよりも、化学の楽しさを伝える作家業にのめり込む。「小さくてもいいから、“1日1アイデア”を創出すること」を日課にし、薬創りで用いる化合物ライブラリーならぬ、自分だけのアイデアのライブラリーを積み上げ、アイデア全体のおよそ1%の確率で、年3冊、合計26冊の小説を生み出してきた。アイデアを出すことを楽しむアイデアマン、喜多さんの生き方を追った。

 喜多喜久さん。39歳。作家業を始めるに当たって、喜多の名字にちなみ、縁起の良い名前として「喜久」を選んだ。喜ぶが二つも入る名前はめったにない、そんな喜多さんのルーツは徳島県。高校卒業後、東京大学理科I類に入学し、生まれ故郷の徳島から上京した。

 東大では2年の後期に学部を選択するルールがある。通常、理科I類では、工学部や理学部に進む学生が多いが、喜多さんが薬学部を選んだのは、化学という学問を身近に感じたからだ。

 高校時代はどちらかといえば暗記科目という感覚で化学に興味を感じなかったというが、「大学の授業では結果に対して、なぜそうなるのかの理屈を教えてくれるようになり、体系立てて学ぶことの価値を感じることができた」と急に親しみが沸いた。学部4年生へと進んでからは、薬創りに関連した研究室に入り、修士課程を経て2003年には製薬企業に入社し、研究者としての生活が始まった。

研究者時代に創作活動開始‐2作目で「このミス」大賞・優秀賞

 アレルギー系薬物で大量合成法の確立、不安定な中間体の不純物の合成と、研究者として創薬の様々なプロセスを経験する生活に明け暮れた。人生の転機となったのは30歳を迎えようとした頃。そこで、小説を執筆する出会いに恵まれた。

 打ち込める趣味もなく、そろそろ人生のやりがいを、と探していた時に何気なく読んでいたある小説の最後のページをめくると、「新人賞募集」という活字が目に入ってきた。「これだ」と思った。

 応募した作品が評価されるのを想像すると、「大学入試のように答案を出してその合否を待つような、あの頃のドキドキした気持ちにまた出会えるのではないか!」と胸が高鳴った。心のどこかで、普段の仕事や生活では味わえない刺激を待ち望んでいた。計画的に物事を進めていくことをモットーとする喜多さんだが、小説を書くという趣味は唐突に始まった。

 趣味だからといって手は抜けない。真剣に取り組みたいと思い、心の中で決めたこと。「30歳から5年間で10作応募し、そこで全て受賞できなかったら、小説を書くのを辞めよう」。本気で挑戦したいから、期限を区切ることにした。

 かすかだが勝算はあった。ミステリー小説好きの製薬企業の同僚から本を借りては、電車の中で読みふけった。これが、小説を執筆する下地になった。

 1作目は受賞を逃したが、その後見事に軌道修正する。「ミステリーとしてどんでん返しが好きだったので、最初はトリックありきで小説を書いていたが、あまりうまくいかなかった」という反省を踏まえ、「仕掛けは仕掛けとして残したまま、舞台を自分の馴染みのある大学の研究室にシフトさせた」。それが功を奏す。ミステリー小説『ラブ・ケミストリー』で『このミス』大賞・優秀賞を受賞し、執筆からわずか2作目で念願が叶った。

40代を前に専業作家へ転身

 研究者と小説家の二足のわらじ。2度目の転機は40代の手前に訪れた。ヒットしたシリーズ作もあり小説家としては軌道に乗っていたが、製薬企業ではマネージャー職になれるかどうかの瀬戸際にあった。マネージャー職になるためには博士課程を修了するか、海外の大学に留学するといった経歴が必要で、「自分は製薬企業ではキャリアを積めておらず、マネージャー職になろうとする希望もなかった」という。

 そして昨年、38歳でキッパリと研究者を辞め、専業作家としての道を歩むことを選択。苦渋の決断かと思えば、「40代のどこかで会社を辞めて作家になる」という人生設計を立てていたため、それが前倒しになっただけで迷いは一切なかった。気持ちは小説へと傾いていた。

“1日1アイデア”創出が日課‐大半はお蔵入りでも「楽しい」

 小説の創作は、本のタイトルになるようなオリジナリティのある短い言葉、小説のコンセプトを決めるところが出発点だ。考案したコンセプトからイメージして肉付けを行い、物語の設定に近づける。

 小説としての骨格が決まれば、物語(ストーリー)として仕上げていく。小説の構想となるプロットからストーリーにしていく作業は、映画の創り方と似ていて、「どのページでイベントを起こすかは、プロットとしての技術論が確立されており、ベースがある」という。物語ができれば、ようやく執筆が始まる。執筆時間は1日3時間、朝昼夕と分けて集中して書く。

思いついたアイデアを書き込んだノート。“1日1アイデア”を日課としている

思いついたアイデアを書き込んだノート。“1日1アイデア”を日課としている

 喜多さんは、小説創りの入り口として、コンセプト候補となるアイデアを貯めていくことにこだわる。デビュー以来、年に3冊を出版する目標を自分に課す。作家業としての足腰を支えているのは、「“1日1アイデア”を創出する」というルーティンだ。漫画やインターネット、新聞などで情報に触れながら、思いついたアイデアをノートにメモすることを欠かさない。

 「1年やれば365個の小さなネタが貯まる。思いついたアイデアのうち、99%は使い物にならないが、365個中3~4個の確率で本になる。1年に3冊出版するのであれば、逆算して1日一つずつアイデアを貯めていく必要がある」。継続は力なり。精度が低く、地道な作業だが、「駄目でもともとなので、アイデアを探すのはむしろ楽しい」という。

 『化学探偵Mr.キュリー』『恋する創薬研究室 片思い、ウイルス、ときどき密室』『創薬探偵から祝福を』のタイトルに代表されるように、喜多さんが出版した作品には化学や創薬にまつわる話が多く登場する。「化学には仕組みがあり、不思議な事象に対する答えも化学で説明できる。自分の作品で苦手意識がなくなれば」。エンターテイメントとして面白い小説創りを基本としているが、数冊読み続けると不思議と化学に対する親しみが沸いてくる作風だ。

キャラの描き方重視‐化学を分かりやすく

最新刊の「科警研のホームズ」

最新刊の「科警研のホームズ」

 11月には宝島社文庫から自身26冊目となる最新刊『科警研のホームズ』が出版される。初の警察科学捜査ミステリーで、科学捜査研究所(科捜研)の別組織である科学警察研究所の本郷分室で室長を務めるドロップアウトした研究者のもとに、3人の研修生が現れ、チームで事件を解決しながら、研究者がやる気を取り戻していく話だ。

 化学を分かりやすく伝えるためにキャラクターの描き方を重視する。最新刊を含め、どの小説も登場する人物がとても魅力的だ。名前はどうやって決まるのか。「名字については、全国の駅の名前を調べて、印象的なものから一つずつ採用し、なるべく重複しないようにしている。下の名前はキャラクターのイメージに合わせて考えている」とタネ明かしをしてくれた。

 現在は香川県に拠点を移す喜多さん。15年間製薬企業の研究者として、薬創りに携わってきたが、新薬にかかわる縁には恵まれなかった。それでも「研究者の熱意と社会への貢献が結びつく仕事は薬創りだけであり、得がたい経験をした」という誇りが胸に残っている。

 化学をエンターテイメントで伝える立場になり、小説を書いているうちに、「自分の作品の世界観にどっぷりと浸って、キャラクターの隣にいるような感覚になる」のは、意外にも化合物を創出した研究者の熱意とも似ているのかも知れない。チームで行う創薬とは違い、アイデアを出して作品を仕上げるまでの全プロセスを1人で経験し、作品を出せば読者からの反応も得られる贅沢な達成感は、研究者から作家になった喜多さんにしか分からない。喜多さんだけが味わえる楽しみだ。

今まで出版された喜多さんの作品。表紙のデザインは、書店で目立つように出版社やデザイナーの意見を取り入れている

今まで出版された喜多さんの作品。表紙のデザインは、書店で目立つように出版社やデザイナーの意見を取り入れている

 今後はいろんなジャンルの小説を書いていく予定だ。最先端のサイエンスを組み入れた物語を書いていくとしても、ネガティブな結末としては扱わないと心に決めている。それが、「常に楽しんでいたい」という喜多喜久のスタイルになっている。

 もし、薬学生が喜多さんのような作家になりたいと相談されたら、「デビューするまでは、自分が書きたいものを書いて下さい」と言いつつも、「作家としてやっていくのであれば、自分ひとりの世界ではなく、小説を書くための技術論を学び、社会のニーズを読み取る能力が大切です。でないと、続きませんよ」と、先輩としての助言も忘れなかった。



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