薬局薬剤師の業務の質、数値化
薬局薬剤師の業務プロセスの質を数値化する指標として、世界的に注目が高まりつつある薬局版クオリティ・インディケーター(QI)。薬局版QIの認知度向上や社会への実装を目指して、国内外で研究に取り組んでいる薬剤師がいる。シドニー大学薬学部博士課程に在籍する藤田健二さん、その人だ。製薬会社の研究者、薬局薬剤師を経て海外に飛び出し、2014年にシドニー大学に留学した。まもなく博士号を取得できる見込みで、今後は薬局版QIの研究者として海外で活動できる道を探す。思い通りのポジションを確保できるのか。今年が勝負の年だ。
薬局版QIとは、主に薬局薬剤師の業務プロセスの質を数値化する指標のこと。例えば、胃保護薬の処方なしで非ステロイド性消炎鎮痛薬が処方された高齢患者のうち、薬局薬剤師が医師に胃保護薬追加の疑義照会を行った患者は何人いたかなど、実施すべき業務の遵守率で評価することが多い。継続的にQIスコアをモニタリングし、必要に応じて対策を講じることで業務の質を改善できる。薬局版QIの開発や活用への関心は世界的に高まっており、米国やオランダのように社会に実装されている国もある。
藤田さんは留学先のシドニー大学で薬局版QIの研究に取り組むようになった。QI研究に関する世界の論文を網羅的に調べてQI普及に向けた課題を明らかにしたり、各国の活用状況を調べたりしたほか、日本でも薬局版QIの臨床研究を実施。19年3月まで実施した臨床研究「JP―QUEST」では、薬局薬剤師の在宅業務の質を可視化するQIの開発に取り組んだ。今年5月からは日本で行う第2弾の臨床研究として、薬局薬剤師が提供する外来高齢者ケアの質を可視化するQIの開発や、QI導入の成果検証に取り組む計画だ。
製薬、薬局を経て豪州へ留学‐エビデンスやツール発信したい
藤田さんはもともと製薬企業の基礎研究者だった。02年に昭和薬科大学を卒業し、同大学博士前期課程を修了後、中堅製薬会社の研究所で約3年間働いた。「お金をいくらかけてもいいから、目的の化合物を期日までに合成することを課せられていた。合成ルートを自分で考え、試薬も買って、スケジュールを立てて取り組んだ」と振り返る。
人里離れた田舎にある研究所で朝から晩まで研究に没頭する毎日。完全に個人プレーの世界で、研究は楽しかったが、孤独感もあった。働き始めて数年後、優秀な成果を収めていた藤田さんは同年代の中からただ1人、著名な大学の研究室に国内留学する候補者に内定した。名誉なことだったが、応じればその後も研究者として歩まざるを得ないと危惧した。
「このまま定年まで勤めて自分は満足できるのかと感じていた。もっと他にできることはないのか。人と触れ合ったり協力したりして活動したいと思った」。迷った挙げ句、製薬会社を退職。地元の神奈川県に本社を置く薬局チェーン、薬樹に転職した。
薬樹では薬局の現場で3年間、薬剤師として働いた。その間、研究者の経歴を生かし「薬を構造式から考える」と題した読み物を社内に発信した。面白い社員がいると評判になり、本部から声がかかった。以降は約4年間、本部スタッフとして教育や研修、経営企画に関わった。
薬局チェーンでの仕事は充実していたが、次第にもっと大きなスケールで社会に貢献したいと考えるようになった。毎年秋に世界で開かれる国際薬剤師・薬学連合国際会議(FIP)に自費で参加。各国の薬剤師や研究者が交流する姿を見て刺激を受けた。「エビデンスやツールを作って発信し、それが世界で活用されるようになれば幅広く社会に貢献できる」。そう考えて薬樹を退職。FIPの社会薬学管理部門長を務めるオーストラリアの研究者に師事するため、シドニー大学の門を叩いた。
世界の研究者と連携‐QI普及に取り組む
海外に飛び出して約6年。まもなくシドニー大学博士課程を修了する見通しだ。博士号取得後の進路はまだ定まっていない。「薬局版QIの研究テーマでポスドクとして雇ってくれる海外の大学や機関があれば、そこで研究者として活動したい」と藤田さんは話す。狭き門だが、各方面にアプローチして道を切り拓きたいという。
薬局版QIへの関心は世界的に高まりつつある。ただ、薬局版QIを社会に実装している国は少なく、多くの国では認知度がまだ低かったり、研究段階だったりするのが現状だ。
「研究テーマとして実際に取り組んでみて、薬局版QIの重要性を強く実感した。普及に向けて誰かが課題の解決に取り組まなければならない」。世界の研究者らと連携して医療現場で活用できるQIを開発したり、国同士で比較したりしたいという。
解決すべき課題は多いが、「きちんと進めていけばいつかはゴールに辿り着くことを基礎研究で学んだ。海外で活動してみて、同様に動き続けていれば解決できるという手応えを得た」と藤田さん。「英語はたどたどしいが、思いをもって話せば熱意は通じるし、ネットワークも広がる。できるという手応えを胸に取り組みを進めたい」と意気込む。
今年2月、世界の研究者が連携して薬局版QIの課題解決に取り組むワーキンググループが、欧州の臨床薬学研究者の組織「ファーマシューティカルケア・ネットワーク・ヨーロッパ」(PCNE)に設置された。藤田さんらが働きかけて実現したものだ。極めて異例なことに、ワーキンググループのリーダーの1人として日本人の藤田さんが抜擢された。目標の達成へ。また一歩階段を上った。
100kmのトレイルランに挑戦‐走りも研究も対応力が重要
多忙な研究生活を送る藤田さんの趣味は、山や野原の未舗装路を走るトレイルラン。オーストラリアで初めて走ったフルマラソンを契機にランニングにのめり込み、トレイルランの大会にも出場するようになった。
「土や枯葉を踏む感触、森の匂い、川が流れる音や鳥のさえずり、小動物との遭遇など全てが非日常。木漏れ日を浴びながら自分のペースでゆっくり森の中を走っていると、研究生活から解放されてリフレッシュできる。走っている最中に研究上の良いアイデアを思いつくこともある」
これまで100kmのトレイルランの大会にオーストラリアで3回、香港で1回出場した。今年4月末には富士山の麓を数日かけて約160km走る日本最高峰の大会「ウルトラトレイル・マウントフジ」に出場する予定だ。
藤田さんの100kmレースの完走タイムは約20時間。走るペース、エネルギー補給のタイミング、各休憩所への到着時刻、休憩時間などを予測し、事前にゴールまでの綿密な計画を立てる。ただレース当日には様々なアクシデントが発生するため、臨機応変な対応力が求められる。
研究活動も同様で、研究プロトコルの作成、倫理審査の申請、研究資金の獲得、研究協力者の募集など全ての工程を細分化してスケジュールを組むが、「計画通りに進むことなどまずない」。プロジェクトを動かしながら軌道修正するスキルが必要になるという。
研究活動もトレイルランも「長い道のりを完走できるだけの想いの強さが求められる点で共通している」と藤田さん。「研究が忙しくて森で走れない日が続くと、研究を続ける意志にも悪影響が現れる。今後もバランスよくトレイルランを続けていきたい」と語る。