北海道の病院で薬剤師として働いた後、ITベンチャー勤務を経て昨年、医療系データ処理やシステム開発を手がける会社H&H CONNECTを仲間と立ち上げた佐古卓人さん。病院薬剤師時代には、IT系の知識や技術が全くない状態から業務時間外に猛勉強し、院内の各種指示を電子化するオーダリングシステムをたった1人で開発するという離れ業をやってのけた。薬剤師の知識とシステムエンジニアの技術を融合し、患者のために自分にしかできない仕事をしたい――。その信念は本物だ。
東京都内、地下鉄茅場町駅から徒歩数分のビル内の一室がH&H CONNECTの本拠地。ここを拠点に、佐古さんとともに同社を立ち上げた計4人の仲間と数人の社員がテレワークで日々の業務に取り組んでいる。
投資家から資金を集めて会社の規模を大きくし、収益拡大を目指すようになると、自分たちがやりたいことがぶれてしまうとして、その方向には足を踏み入れない方針。少数精鋭で、製薬企業などからデータ処理やコンサルタント業務を受注しながら、そこで得た利益で新たなシステムの開発を進めている。それぞれがプロジェクトに取り組む中で、収益性の低さから中小病院向けシステムは十分に整備されていないことに着目し、医療現場の問題解決に役立つシステムの開発を主導しているが佐古さんだ。
問題山積の現場見て責任感
現在は社会貢献を理念に掲げて仕事に心血を注ぐ佐古さんだが、社会人として働き始めるまでの自分は「本当に画に描いたようなダメな人間だった」と振り返る。
祖母の代から薬局を営む家で育ち、2人の兄が薬系大学に進学する中、自分も薬剤師になるのが当然として後を追った。長兄の勧めで同じ北海道薬科大学に入学したものの、バイクや車に夢中になって講義中は居眠りばかり。「今思えば、このモラトリアム期間に自己研鑽をしておけば良かったと後悔している」と佐古さん。当時は何も考えることなく、遊びほうけて学生時代を過ごした。
将来のビジョンはなく、薬剤師の国家試験に合格してからでいいと気楽に考えて、就職活動もろくにしなかった。唯一したのは、大学の就職説明会に参加したことだけ。「教授から最低でも一つは聞きに行けと言われ、面倒くさいから会場の入り口から最も近かった病院で話を聞いた」。卒業直前の3月末にその病院からかかってきた勧誘の電話に深く考えることなく応じ、就職先を決めたという。
2007年に大学を卒業し、札幌市内にある200床規模の病院で働き始めると、考え方は大きく変わった。病棟に出向き患者の苦しみや悩みに直接向き合ううちに、社会の中で薬剤師資格を得た者として責任をしっかり果たさなければならないとの意識が芽生えた。
現場には、円滑な業務遂行の障害になる問題が山積していた。より良い医療を提供するには問題の解決が必要だが、病院にはそこに投じる資金の余裕はない。周囲のスタッフも口では「患者のために」と言いつつ、諦めている状況だった。
「口ではこうすべきと言いながらやらないのは格好悪い。自分はそうはなりたくなかった。誰もやらないのであれば、自分がやらないといけないという責任を感じるようになった」と佐古さんは話す。
独学でオーダリングシステム‐毎日深夜まで開発に没頭
問題解決に向けて、まずは実績をつくるため、注射薬に貼るラベル印刷のシステム化に取り組んだ。当時のパソコンスキルは最底辺だったが、病院に資金はないため、自分でプログラムを書くしかないと決意し、初心者向けの書籍で猛勉強。試行錯誤を繰り返して実現にこぎ着けた。その結果、ラベルに患者名や薬剤名、用量、投与日時などを手書きする仕事はなくなり、安全性向上や業務改善につながった。
この実績をもとに院内の合意を取り付け、08年には本丸と位置づけていたオーダリングシステムの開発に着手した。とはいえ必要な知識はほぼゼロの状況。プログラミング言語、データ処理など必要な技術を学ぶため、平日は19時頃まで薬剤師の業務を行った後、深夜3時頃までシステム開発に没頭。休日も全ての時間をプログラミングに費やした。
血の滲むような努力を数年間重ね、たった1人、独学で作り上げたオーダリングシステムが11年4月に稼働した。市販のものを購入すれば2億円前後かかるが、パソコン代など約200万円の費用で構築できたという。
13年には北海道内の200床規模の病院に転職した。前の病院以上に問題が山積みで、薬剤科の業務レベルは約30年前の状況。「そのような病院の方が自分の力が役立つ。ここだと思った。真っ白なキャンパスに見えた」。より過酷な環境に自ら飛び込み、ここでもオーダリングシステムを開発。化学療法業務や薬物血中濃度測定業務なども立ち上げた。
病院でシステム開発や業務改善に明け暮れていたある日、佐古さんの奮闘ぶりを知っていた前担当のMRから、19年6月の日本医薬品情報学会のランチョンセミナーで講演するよう依頼を受けた。これまでの取り組みを外部に開示するのはそれが初めてで、人工知能による錠剤画像識別システムのプロトタイプも発表した。
この講演が評判になり、噂を聞きつけたITベンチャーの誘いを受けて19年10月に転職。東京都内で働くうちに同じ志を持つ医療系システムエンジニアと出会い、20年に共同でH&H CONNECTを立ち上げた。転職したが、開発したオーダリングシステムの保守は今も責任を持って続けている。
多職種の情報共有化に焦点
佐古さんが主導して開発しているシステムは今年6~7月頃をメドに、病院や薬局、介護施設向けに発売する計画だ。地域の関係施設や多職種が患者を中心に連携して医療や介護に取り組む地域包括ケアシステムの構築が進む中、患者情報の共有化が課題になっている。「情報伝達をどう効率化するか、今はデータとして把握できていない情報をどうやってデータ化するかが課題。様々なモノをインターネットに接続するIoT技術の活用に取り組んでいる」と話す。
このほか、院内に蓄積しているデータを医療機関が有効活用できるように支援するシステムの開発も進める。データを解析すれば、医療の質の向上や効率化に役立つからだ。
IT関連業界全体で、中小病院向けのシステム開発は進んでいない。収益性が低く儲からないから誰も手を出さず、高い収益が見込める製薬企業向けの業務やシステム開発に注力しがちだ。「しかし、中小病院にも多くの患者がいる。小規模の会社だからこそ、私たちにはできることがある」。地域や僻地の医療機関を手助けしたいという。
医療現場で10年以上経験を積みシステムエンジニアとして働く人は少なく、ましてや、院内のオーダリングシステムをゼロから構築した人はほぼ皆無だ。「その経験を持ち込みビジネスの世界に来ることができたのは幸運。それを還元したい」と佐古さん。周囲からはよく「薬剤師をやめてシステムエンジニアに転職したんだね」と言われるが、薬剤師の知識とシステムエンジニアの技術を融合させて患者の役に立つ仕組みを構築することが本意で、本人は薬剤師をやめたとは思っていない。
「薬剤師だけの能力で考慮すると、私より素晴らしい薬剤師はたくさんいる。そこはその先生にお任せし、正規ルートとは呼べない道は私のようなはぐれ者の薬剤師が行けばいい。素晴らしい薬剤師がいなくなれば社会の損失だが、私がここで野垂れ死んだとしても社会への影響はない。私が僅かでも医療をより良くすることに貢献できれば、社会にとってそれほどいいことはないのではないか」と佐古さんは語る。