小児アレルギーエデュケーターという資格があるのをご存じだろうか。気管支喘息、アトピー性皮膚炎、食物アレルギーなどのアレルギー疾患を有する小児の適切な治療やケアが実践されるように患者教育を担う人材を育成するため、日本小児臨床アレルギー学会が2009年に立ち上げた資格だ。看護師に加えて13年には薬剤師、管理栄養士にも門戸が開かれた。全国に薬局を展開するファーマシィに所属する中川博之さんは、その資格を持つ薬剤師の1人。薬局のエリアマネージャーとして日々働きつつ、小児アレルギーエデュケーターとして学校の教員や保護者らを対象に教育活動を行っている。「ニーズはものすごくあり、やりがいもある一方、人材は不足している。薬剤師もこの資格取得を検討してみてはどうか」と話している。
小児アレルギーエデュケーターの中川さんのもとには、各地から講演や研修の依頼が舞い込む。最近は学校関係者からの依頼が増えてきた。
食物アレルギーを持つ小児は年々増加している。学校給食でもアレルゲンを含む食品の誤食によって、患児は血圧低下や意識喪失などのアナフィラキシーショックを引き起こし、死に至る可能性がある。個人差はあるが症状の発現から心停止までの時間は約30分と短い。緊急時には教員が「エピペン」(アドレナリン自己注射薬)を注射することも必要な場合があるが、どのタイミングで注射するのか、どこにどのように注射するのか、教員全員がどのような役割分担をするのかを事前に十分把握していなければ、即時の対応は難しい。
「12年に調布市の小学校で粉チーズ入りのチヂミを食べた生徒がアナフィラキシーショックを発症し、死亡した事故があった」と中川さん。小児はエピペンを携帯しており教員もそれを把握していたが、注射するタイミングが遅れた。この事故を契機に文部科学省は15年に「学校給食における食物アレルギー対応指針」を発刊。食物アレルギー事故の防止に取り組むよう、関係者に呼びかけている。
こうした背景から学校関係者の意識が高まり、中川さんは関西各地の教育委員会から研修の依頼を受けることが多くなった。学校に出向くと中川さんは、食物アレルギーの概要や症状、エピペンの使い方などを教員に教える。一方的に説明するだけでは身につきにくいため、学校で小児が食物アレルギーを発症した場面をロールプレイで体験してもらい、上手く対応できなかったことを振り返りながら、必要な知識や手技を習得できるように工夫している。
中川さんが担当する今年度の学校関係者向け研修は計16件。研修のほか昨年度は、奈良県の教育委員会におけるアレルギー疾患対応指針の策定作業にも専門家として加わった。
「医療の均てん化必要」
各地の子育て支援センターなどに出向き、アトピー性皮膚炎や食物アレルギーの子どもを持つ保護者向けに話をすることも多い。そこで知り合った自治体の子育て支援課の関係者から、地域住民対象の講演を依頼されることもある。
「アレルギー疾患への適切な対応方法は、エビデンスの蓄積によって10年間で大きく変わった。医療の均てん化には、患者への正しい情報伝達が必要」と中川さんは言う。以前の方針から180度転換し現在は、妊娠中や授乳中に母親が原因食物を避けても食物アレルギーを予防できないことや、離乳食を遅らせても食物アレルギーの発症を抑えることはできないどころか、むしろ食べられるものはなるべく早いうちから摂取することが推奨される時代になっている。
食物アレルギーを持つ小児がずっと原因食物を避け続けるのは、本人にも家族にも大きな負担になる。血液検査でIgE抗体が高値であっても「感作が成立していることと、食べられるかどうかは別。IgEが高くても食べられる場合はある」と中川さん。専門医を受診し、経口食物負荷試験などで調べて、どこまでなら食べられるのかを相談して決めるよう保護者にアドバイスを送っている。
一方、アトピー性皮膚炎患者の保護者でよく見られるのが、ステロイドを忌避する傾向だ。副作用に関する正しい情報が伝わっていないために、過剰に警戒し使用を避けようとする。中川さんは、適切に使えばステロイドはいい薬であることや、減らす方法があることを保護者に伝える。最近は、皮膚が荒れバリア機能が低下した状態が続くと、経皮感作によって食物アレルギーが引き起こされる可能性があることも分かってきた。保護者には、食物アレルギーを防ぐためにスキンケアが重要だと伝え、石けんの泡立て方を実演しながら、スキンケアの方法を分かりやすく説明している。
薬局は社会全体に接点
「現在、アレルギー疾患は適切な治療を行えば上手くコントロールできたり、予防できたりする。そのためには患者や家族への指導、教育が重要。医師が短い診療時間で行う指導には限界があるし、専門医以外の医師が最新の知識を備えているわけではない。多職種が継続的に関わり、最新の正しい情報を伝えることが求められている」と中川さんは語る。
医療現場の中だけで関わるのではなく、社会全体の中で患者や家族との接点を持つことも重要だ。「受診していないアレルギー患者も存在する。そのような患者に対しても薬局は、地域活動の一環として幅広く正しい知識を普及させる役割を担うことができる」。
15年に成立したアレルギー疾患対策基本法には「アレルギー疾患医療に携わる専門的な知識及び技能を有する医師、薬剤師、看護師その他の医療従事者の育成を図るために必要な施策を講ずる」と明記されている。同法を受けて今年3月には基本指針が策定された。国全体で取り組みを進める機運が高まっている。
小児アレルギーエデュケーターの資格取得者数は約400人。このうち薬剤師は50人だ。資格取得のハードルは高く狭き門ではあるが、「薬剤師もこの資格取得を検討してみてはどうか」と中川さんは呼びかける。医師が立ち上げた制度であるため専門医の認知度は高い。日本小児臨床アレルギー学会には、職種の垣根を越えたスキルミクス型チーム医療の概念が根付いており、同じ仲間として和気藹々と情報交換しながら資質を高められるという。
病院薬剤師経て薬局に
中川さんは大学卒業後、奈良県の天理よろづ相談所病院に就職。89年から15年間、病院薬剤師として働いた。その中で一時期、小児科病棟を担当し小児アレルギー患者に関わった経験がある。その後、小児アレルギーエデュケーターの資格を14年に取得したのは、当時共同で学会発表なども行い、仲が良かった小児科医の勧めがあったからだ。
病院勤務を経て04年には、薬局薬剤師に転身した。より長く患者と接する時間を持ちたいと考えて、薬局を新たな職場に選んだ。14年には現在勤めるファーマシィに転職。大阪、和歌山、奈良のエリア長として8薬局のマネジメント業務を担当している。各薬局が円滑に運営できるように導いたり、人事評価を行ったり、収支に目を配ったりするのが仕事だ。
ファーマシィの医療連携部にも所属。大学や行政などと連携した業務を展開したり、講演を行ったりして社会にアプローチし、会社のブランド構築にも役立てる部署の一員として、自身のライフワークでもある小児アレルギーエデュケーターの活動を会社の業務としても実践できるようになった。
中川さんは現在52歳。残りの薬剤師人生をどう過ごすかを日々強く意識している。そのひとつが、これまでの経験を現場の薬剤師に伝え、全体の質を向上させることだ。社内の研修会では講師を担当し最新のアレルギー情報の知識や技術の伝達に努めるほか、最近は地域の各薬局で薬剤師視点を重視した症例検討会を開くよう後押しした。社会と広く接点を持つ小児アレルギーエデュケーターの経験を生かし、薬局の地域活動の実施を支援することも少なくないという。
薬系大学講師の肩書きも
中川さんは近畿大学薬学部非常勤講師の肩書きも持っている。毎年9~12月には20回以上大学に出向き、4年生のOSCE前の学内実務実習でコミュニケーションなどの教育を担当。フィジカルシミュレータを活用しフィジカルアセスメントの方法を学生に教えたり、そこで得た情報を医師にどのようにフィードバックするのか、患者にどんな説明をするのかを、具体的な症例を題材に教えたりしている。
就職セミナーでも採用側の立場で薬学生と話す機会が多い中川さん。「薬学生は売り手市場でちやほやされている。就職セミナーなどで薬学生から『どんな研修がありますか』と聞かれることが多い。『自分はこんなことがしたいが、この会社に入ったら実現できますか』と聞いてくる薬学生は少ない。自分がしたことに対してお金が支払われるのが社会人なのに『私に何をしてくれますか』というのではベクトルが反対を向いている」と釘を刺す。
薬学生に向けて「薬剤師になって何をしたいのかという目標を持ってほしい。薬剤師になってからは、組織の中だけにとどまらず積極的に外に出て行って刺激を受け、人脈を作ることも重要。目標の達成に向けて逆算で考えて行動してほしい」とエールを送る。