青森大学の忍者部は、日本で唯一の大学公認の忍者部として、津軽の忍者の歴史を明らかにすると共に、忍者の魅力をアピールすることに力を注いでいる。顧問を務める薬学部教授の清川繁人さんが昨年4月に設立した新しいサークルで、薬学部の1、2年生が主体となって忍者に関する文献や建築物の調査、剣術を中心とした古武術の稽古、アクロバットを売りとした観光客向けのショーなどに取り組んでいる。ケガの治療などに使用する薬を忍者が製造していた手がかりを発見するなど、早くも活動の成果を上げつつある。部員は「達成感を味わえるので楽しい」と語るなど、充実した日々を送っている。
かつて薬を作っていた?‐学術調査で手がかり発見
清川さんは、忍者修行を目的に来日する外国人の増加を知ったことがきっかけで忍者に興味を持ち、忍者の魅力を伝えること、津軽の忍者の学術的調査を目的に、昨年4月に忍者部を立ち上げた。薬学部の1、2年生を中心に28人の部員が所属し、韓国からの留学生も活動に参加している。
週に2回ほど、大学の道場や体育館で忍者ショーで披露する演武やアクロバットを練習している。男女比が同じ忍者部では、女性部員も積極的にバク転やバク宙などに挑戦している。
また、弘前市で活動する武術団体「修武堂」が主催する合同稽古にも、月に3~4回の頻度で参加。柔術、居合、抜刀など、様々な武術を取り入れているが、中でも「卜傳流(ぼくでんりゅう)」と呼ばれる剣術は、津軽の忍者集団の頭領が師範を兼任していた時期があったことから、忍者部が合同稽古に取り組むきっかけとなった。
弘前市内の日本家屋で稽古を行うことが多く、弘前大学の古武術研究会、他流派の指導者などと一緒に剣術の型の見本を見学した後で、木刀による打ち込みで汗を流す。手裏剣投げも稽古に取り入れており、この地域における忍者の影響力の大きさが見てとれる。
薬学部薬学科1年生の木村勇弥さんは、高校時代はバスケットボール部に所属していたが、大学では友人に誘われて忍者部に入部した。アクロバットや武術だけでなく、ボクシングなども教えてもらえることから、「想像以上に色々な体験をしています。鍛えられていると実感しますね」と、充実感を語る。
日頃の鍛錬の成果は忍者のPR活動で発揮する。青森県の港には客船が頻繁に寄港し、国際空港もあることから、アジアをメインとした外国人観光客に忍者ショーを披露している。観客の年齢層や出演する部員によってシナリオの内容を変えるが、躍動感があるアクロバットで観客の目を惹きつける。冬季は積雪によって客足が伸び悩む青森県だが、季節を問わずに実施できる点が忍者ショーの強みだという。観光分野では北海道がライバルとなるが、清川さんは「江戸時代までの文化を多く残している点で差別化を図りたいです」と、意気込みを語る。
地元の子供たちにも、忍者が使用した武具の使い方を説明し、手裏剣投げや忍び足などを実際に体験してもらっている。
全国で唯一の大学公認の忍者部という珍しさもあり、テレビや新聞などのメディアで取り上げられる機会も増えた。薬学部薬学科1年生の安井早紀さんは、テレビで忍者部の活動を観たことがきっかけで入部した。ショーでは、「町娘が悪党に誘拐されるが、忍者と協力して反撃する」というシナリオを使うことが多いため、安井さんの見せ場も増えている。ショーについては、「緊張しますが、達成感を味わえるので楽しいです」と、練習の成果を披露する喜びを語った。
学術調査では、忍者に関する文献の解読や建築物の調査を行っている。その結果、「早道之者(はやみちのもの)」と呼ばれる忍者集団が江戸時代前期から明治時代初期まで活動していたことを明らかにした。
早道之者は、現在の滋賀県を中心に活動していた甲賀忍者が江戸時代前期に弘前藩主に要請されて組織した。当時は、北海道南部を治めていた松前藩に対してアイヌ民族が反乱を起こしていた時期で、早道之者は諜報活動を行い、幕府に状況を報告していた。戊辰戦争でも暗躍したが、幕府が崩壊したことでその役割を終え、明治3年頃には完全に消滅したという。
清川さんは弘前市の協力を得て、この集団に所属していた忍者の子孫の行方も調査した。リーダーである頭領の子孫は明治時代に軍人に転身したほか、現在の薬剤師に相当する職業に就いた人、農業に従事した人もいたことなど、次第に消息が明らかになってきているという。
甲賀忍者はケガの治療を目的に薬を作っていたことから、忍者が使用していたという屋敷を調べ、早道之者と薬の関係を探った。確定はしていないものの、明治時代に屋敷を譲り受けた人が「薬のにおいが漂っていた」と証言した文献を確認したことを踏まえ、清川さんは「早道之者が薬を製造していたのではないか」と考えている。
創部当初は古文書の解読や史跡の調査をメインとしていたが、部員の増加と共に活動範囲も広がったという。清川さんは、「他の大学では体験できない活動と考えると、非常に恵まれています」と、現在の活動内容を前向きに捉えている。