新潟薬科大学健康推進連携センター教授
小林 大高
医薬分業発祥の地 イタリアで始まる薬局改革と新たな道筋(2)
イタリアは、他の欧米先進諸国とは異なり、どちらかといえば伝統的で、保守的なスタイルの「薬局」を守ってきた国でした。ほんの10年ほど前まで、古き良き薬局があちこちに存在していて、「完全分業」が守られていたのです。
当時の私は、この「完全分業」という意味をよく理解していませんでしたが、石井甲一氏(日本薬剤師会専務理事〈当時〉)の言葉をお借りすると、「病院内投薬も含めて「調剤」はすべからく薬局が行う」ことです。2008年だったと思いますが、イタリア・ローマ市の基幹となる薬局訪問をしたことがありましたが、無菌室も備えた大規模調剤室があり、通常の外来調剤とは別に、病院からの依頼に応じて院内調剤も引き受けていました。
当時のイタリア薬剤師協会会長であったLeoparidi氏によれば、このような病院調剤も受託できる大規模薬局は、地域に1つは必ず用意されていて、医薬品はすべからく薬剤師が「供給・準備」するために必要と力説していました。それほどまでに、医薬品供給は「医師」の手から離れ、すべて薬剤師が関わるものだという意識がイタリアの薬剤師に刻まれていたのです。
こうした伝統的な職能意識は、自らの職能を権利として主張していることにつながります。権利主張の帰結として、他職種の職域への配慮も非常に大きく、職能の壁とも言えるような息苦しさも感じられました。
当時の日本では、介護や在宅の分野に薬剤師が積極的に進出し始めたところでしたから、「日本では薬剤師が患者宅に訪問して介護分野で活躍し始めているが、イタリアではどうですか?」なんて質問をすると、「なぜ、薬剤師が介護や看護の分野に進出するのか理解できない。介護や看護の専門家に任せればよいことではないか?」とやり返されました。
日本は分業の歴史が長くないことが幸いして、他職種の壁に対して観念的に「チャレンジャー」になれるのですが、伝統があればあるほど観念的な「職能観の束縛」から解放されるのに時間が必要なようでした。
この当時のイタリアも規制緩和の波が押し寄せていて、医薬業界に関していえば、「医薬品を国民の手に戻せ!」と言わんばかりの政治キャンペーンが進んでいました。スーパーマーケットなど、どこでも好きなときに、そして競争原理のもとでリーズナブルな価格で購入できる医薬品を求める運動でした。
こうした自由化の流れに対して、イタリアの薬剤師は、薬局を地域の生活インフラとして認知してもらい、自分たちの専門性を認めてもらうためにチャレンジャーにならんとしていましたが、やはりそこには長年守られてきた職能観の尊敬というものが鎮座していたのです。
イタリア薬剤師会は、医薬品販売の自由化運動の中に薬局と薬剤師に対する不信を敏感に感じ取り、この不信を払しょくするための方策として、地域社会でより具体的な保健サービスを提供する拠点として薬局を活用できるインフラ整備に力を注ぎました。
そんな折も折に、政府から薬局で医療機関の予約窓口を開設してほしいという話が持ち込まれたのです。イタリアでは、医療機関の予約は、行政機関の窓口に出向かなければとれず、市役所など自治体の庁舎まで行かなければ予約できない上に、この窓口が絶対的に不足していました。従って、予約をとるために何時間も窓口の前で待たなければなりませんでした。
さらに、仮に予約できたとしても、診察まで何週間も待たなければならないし、窓口の役人は医療の専門家ではないので、必ずしも最適の医師を予約してくれるとは限らないということで、国民の不満が絶頂に達していたのです。
そこで白羽の矢が立ったのが薬局でした。薬局は、ほぼ小学校区に1つの割合で立地しています。少なくとも保健所などよりは、地域住民の身近に存在していました。また、日常より医療機関の処方箋を取り扱っているので、医療機関のことも理解しているし、専門医の得意とする分野も窓口の役人よりは、はるかにイメージできていました。となれば、専門医療機関の予約を薬局に任せるのも悪くないということで、北部の各州で、薬局にCUPという医療機関予約窓口を設置するようになりました。
CUPの設置は思いのほか好評で、それまで何時間もかけて市役所や保健所に出向いて専門医を予約していた住民が、近所の薬局で予約できるようになり、窓口が増えたことによって予約に殺到していた患者さんが分散し、各々の窓口での待ち時間が劇的に減少しました。さらに薬局は、役所よりも親切に相談に乗ってくれるという評判もあちこちでささやかれるようになり、CUP設置をきっかけにして、一度は地に落ちてしまっていた薬局の評判を挽回することに成功したのです。
「仕事が人を作る」と聞いたことがありますが、まさにCUPによって薬局は、「健康情報拠点」たる薬局の存在意義に気が付いたようで、薬局を活用して、地域住民の保健サービスに積極的に介入していこうという機運が盛り上がっていきます。そこで議論されたのが、薬局に看護師を配置しようという動きでした。日本でもここ数年の間に、薬局で血液検査サービスを提供するのがトレンドとなっていますが、イタリアでも保健サービスの核にしようと考えられました。
しかし、医師の領分を犯すようなことは慎むべきだという自省的な配慮が働くのがイタリアです。検査結果をもとにして、安易に健康相談をするのは他職種への配慮を欠いていないかということが議論されるようになります。そんな文脈の中で出てきたのが、保健の専門家である看護師を活用しようという考えでした。お互いの専門性をリスペクトしながら、地域保健サービスを提供するならば、その道の専門家である看護師にお願いするのが望ましい。実際には、看護師を雇用するとなると費用がかさむという考え方もあって、現状で広く一般的にはなっていません。しかし、北部イタリアの先進的な薬局では取り入れ始めていると聞きます。
同じように血液検査を薬局で実施したとしても、国によって薬局が提供するサービスが異なるのですが、その文化的な背景に注目してみると、やはり歴史や伝統の重みを感じることがよくあります。その意味では、イタリアはその呪縛から逃れるのが大変な国なのかもしれません。